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自転車にて [巷の雑感]

梅雨の晴れ間、車を走らせていると、中学生と思える自転車の一団。エナメルバックにサッカーボールを持っているところをみると、これから練習にでも行くのだろう。真夏の暑さのなか、談笑しながら走る彼らとすれ違った。
私が中学生や高校生だったあの頃、もう30年以上も前になるあの頃、移動手段は自転車しかなかった。部活にいくのも、買い物にいくのも、友人宅に遊びに行くのも、自転車だった。特に大切にした記憶もないし、自動車免許を取ると、自然に我が家から無くなってしまったみたいだが、今思うと物言わぬ良い相棒だったのかもしれない。
それから、すっかりお腹が出た中年になってしまった私は、車で移動することが当たり前になってしまっている。こんな暑い日でも、エアコンの効いた車内で、好きな音楽でも聴きながら、汗もかかず移動することが、当たり前だと思ってしまっている。自らの力でしか、前に進むことのできない自転車で、額に汗して走り廻ったあの頃は、それでも決して苦痛とは思わなかったのに。
車のような快適な空間移動はできないけど、自転車には風を切って進む魅力がある。車のように早くはないけど、付近の景色を見ながら、よそ見をしながら走れる余裕がある。車のように荷物は運べないけど、ふと見つけた道端で、簡単に立ち止まれる気軽さがある。車生活に慣れてしまった我が身としては、生活・仕事の移動手段として、自動車は今や欠かせないものだけど、それゆえに自転車の魅力が妙に新鮮に思えるのかもしれない。唯一の移動手段だったあの頃には、そんなことは感じられなかったことだけど。
この前の休日、家の中でTVゲームをしている息子(小学生)を引っ張り出して、自転車の旅に出かけた。家の周りわずか数キロの範囲でも、自転車でのんびり走ってみると、日常の生活から離れた「旅」の気分、新たな発見が新鮮だ。こんな所に素敵な家が建ったんだ。昔よく行った店はもう無くなって、アパートになってしまった。畑だったところが今は駐車場、あの耕していたおばあちゃんはどうしただろう。よく知っているはずのわが街も、生きているんだ、変わっているんだ、と、よみがえる昔の記憶とすり合わせながら、ゆっくりペダルをこぐと、これは旅以外の何者でもない、と感じる。
夕日に向かって畑の中の一本道を走ると、「お父さん、あれ何だか知ってる? 茄子なんだよ」って、小学生の息子が自慢げに言う。どれどれ、と自転車を止めて見てみると、「あっちはね、キュウリじゃないかな」と、授業で習ったばかりの知識で親を驚かせてくれる。下り坂にさしかかると、「お父さん、ちゃんとブレーキかけながら下らないと、転ぶよ」との、ありがたいアドバイス。あのな~、お前よりも自転車暦は長いんだけどなあ、と思いながらも、ハイハイと返事。小川を渡る橋の上で、「いま魚が跳ねた!」と叫ぶ。どれどれ、と川岸に下りていって、しばらく覗き込んでみる。こんなことができるのも、大都会ではない地方の中小都市で、自転車だからだ。
「お父さん、お腹すいたね」の一言で、この旅も終わりを告げる。夕方の風をきって進む自転車のペダルをこぎながら、また近々旅に出てみようと思う。
 

建て込んだ集落の中に、小さな神社を発見。こんなところに・・・、と自転車を降りて、息子と参拝。以前はもっと大きな神社だったのだろうか。もちろん、私たちの現代の車馬は乗り入れていない。

 


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