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子供のコミュニティ [巷の雑感]


 
高校サッカー選手権の地方予選が始まっているところも多いと思うが、ウチの地方でも先週から始まった。息子の所属チームの試合が先日あったので、見に行ってきた。
公式戦ともなると、多くの父兄が見に来ている。知った顔も多い。椅子を並べて試合を見ながらの談笑も楽しいし、選手と一緒に一喜一憂するのもよい。声援や掛け声を送るお母さんたちは、立派なサポーターだ。
私が学生だった頃は、部活や習い事を父兄が見に来るなんて、考えられなかった。小学生の時でも、友人たちと弁当片手に行くのが普通だった。そういえば、小学校の運動会はともかく、中学校の運動会なんて、父兄は誰も見に来ないのが普通だったのに、最近は実に多くの観客が来ていて、年々増えているという。授業参観は今も昔もある。私が小学生だった頃は、何を着て行こうか悩む母がいた。父親の姿を見かけると、「誰の父ちゃんだ?」と話題になって、気恥ずかしい友人もいた。今は夫婦で見に来る親は珍しくない。時代は変わったものだ。
子供たちの活動の場に、親が接する機会は増えていると思う。その原因は様々。少子化、高学歴化、教育問題、子供を取り巻く犯罪や事故の増加、親の余暇時間の増大、etc。そして、そこで父兄同士の繋がりや交流ができるのも自然だろう。
それでも、子供たちの間のコミュニティは、変化しながら、今も昔もある。時代が変わるのだから、そこで生きる子供たちの間の、友情や交流、協調や連帯、いじめやケンカ、好きや嫌い、遊びやスポーツ、団結力や競争意識など、幼いなら幼いなりの、未熟なら未熟なりの、大人が介入できない、介入すれば壊れてしまうような脆い、子供たちだけの世界が、形や色を変えながら、今も昔もある。
子供は親のためだけに生きているのではなく、ましてや親の操り人形でも、世話をすることが楽しみのペットのような存在でもない。いづれ、自分と同じような大人になっていく、一人の人間なのだ。だから、そんな子供たちの、まだ堅固ではない連帯のなかに、親だからと土足で入り込むようなことは避けるべきだろう。子供たちの活動の場と親との距離は、昔より確実に縮まっているかもしれないけど、互いに尊重すべきところはしないと、スポーツ活動が教育の一環ではなくなる恐れがある。子供たちが、自身で築いたコミュニティになかで、切磋琢磨して大人になっていくのを、我々大人は望んでいるのだから。
小学生、中学生、高校生と、サッカー場に通って、子供たちと一緒に一喜一憂しながら、試合に臨むことを続けていると、次第に親たちが「単なる観客者」へと追いやられていくことを感じる。そしてそれは、避けては通れないことだし、そうなっていかないといけないことだし、そうなることが当たり前のことだし、そして子供から大人になっていく証なのだと思う。


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