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年賀状 [巷の雑感]


 
所用があって、久しぶりに郵便局へ行った。
外観は変わらない郵便局だが、中へ入ると郵政民営化の変化は如実に感じられる。色分けされたカウンター内では、モダンな感じに変えられた制服を着た社員がテキパキと動いていた。その壁面を見ると、年賀ハガキ発売のポスターが何枚も貼られていた。キャッチコピーは「年賀状は、贈り物だと思う。」
年賀状というものが何時から始まったのか、私には分らないが、物心ついたころから毎年書いていた。その枚数やデザイン、印刷方法や書き方は変わってきたが、それでも欠かさず毎年書いてきた。書くのが当たり前だとも思っていた。FAXが一般家庭に普及し、それがEメールに変わり、携帯電話から手軽に送れるようになった現在では、年賀状が随分古めかしいものになってしまった感は、確かにある。それでもこの時期になると、ああ年賀状を買わなくては、と思うし、ウチの子供たちにも「枚数の確認をしておけよ」と言い、こんどはどんなデザインにしようか、と考えている。
年賀状を出す、という制度が無くなっても、郵便関係の人以外は、あまり困ることはないだろう。事実、私などより交友関係が広そうな子供たちは、毎年受け取る枚数は減少しているようだし、一枚も出さない友人も多いという。私の知人(もちろん大人)も、生まれてこのかた年賀状を一度も書いたことがない、と自慢げに話す人もいるし、その家庭では親も子も年賀状を受け取ることはあっても出すことはないそうだ。年賀状を書いたことがない子供は、大人になったら年賀状を書くのだろうか。
家内は、たとえ印刷の年賀状でも、必ず一言は直筆で書きなさい、と子供たちに伝えている。時代遅れと言われようが、古き風習と言われようが、それでも私は年賀状を出すし、子供たちも今のところ出している。年賀状の意味は、調べればいろいろ出てくるのだろうが、無くても困らない、といえば、日常生活に欠かせないものとは言えまい。それでも私は、ずっと以前から日本で続けてきたことを、次の世代である子供たちに伝えてやることは、親として当然の義務のように感じている。ただ、そう伝えられた子供たちが、それを続けるのかどうかは、当人たちの選択になるだろう。未来を作るのは、その時生きている人たちであって、過去の事例に縛りつけられるものでもないだろうし、私もイヤだから。
ペンと原稿用紙で書いていた小説家は、今はPCとキーボードで小説を書くという。でも、自らの手で書いた文章には、その小説の内容もさることながら、書かれた文字にその人の個性を感じることができるという。直筆の手紙やハガキは、出す人の個性を届けることにもなるのだろう。それでこそ、年賀状が贈り物になると思う。普段文字を書くことがめっきり少なくなって、人様には見せられない直筆だが、そんな贈り物をまだ続けていきたいと、思っている。


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