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竹中半兵衛 [日々の徒然]


この3連休は好転に恵まれ、絶好の行楽日和だった。で、私はサッカー撮影に全日出動だ。
三日目の今日は、末っ子(小学4年生)の交流試合のために、岐阜県関ヶ原まで行ってきた。正確に言えば、関ヶ原の隣の垂井町にある岩手小学校。主要道路からちょっと入ったところなのに、山がすぐそばまで迫っていて、稲刈りの終わった田畑が一面に広がっているなかにある、小さいながらも立派な小学校だった。
サッカーの試合のために、県内外を問わず、あちこちに行くのだが、試合の合間や待ち時間に、ちょっと辺りを散策すると、珍しいもの、懐かしいものが見つけられて、ミニ旅行気分になることがある。今回も小学校の周りを歩いてみたら、何と小学校のすぐ隣が、あの竹中半兵衛の陣屋跡ということで、資料館や石垣・城門が残されていた。前には立派な銅像も。立て看板には、その生涯が詳しく書かれていた。
ウチの家人に言うと、「誰、それ?」と無知なことを言うが、日本随一の軍師であることは言うまでもない。ここでその偉大な人物像を語ることはしないが、武田信玄の軍師、山本勘助が主人公の大河ドラマ「風林火山」を毎週見ている私としては、書物で慣れ親しんだ人物である。こうした戦国ものの話は、女性には興味無いのかもしれないが、男の子のはその意気揚々とした歴史物語が好まれるようで、私もその一人。学生時代に歴史小説を読みあさった覚えがある。試合開始のホイッスルが鳴るまで、しげしげと見入ってしまった。
関ヶ原といえば、1600年の天下分け目の戦いの行われた場所だし、あたりには旧所・名跡も多いようだ。だが、観光客が団体で訪れる著名な所でもないこうした場所は、探して行かないとなかなか見つからない。こうしたひっそりとした旧跡は、全国至る所に見受けられるのだが、地元の人以外では、そこを探して行く人か、私のように偶然に見つけた人以外は、なかなか訪問客はいないのではないだろうか。そんなこじんまりした旧跡でも、数百年前に確かにそこに居た人に思いを馳せれば、歴史という時の流れを感じられる。たぶんこの方が生きていた時も、あの山もこの川も有っただろうし、形は違えど田畑もこの様にあったのだろう、と。初冬の静かな山間の場所だからこそ、観光客で賑わう場所でないからこそ、いっそうその趣は深い。
秀吉が三顧の礼をもって招いた、名軍師・竹中半兵衛はさて、今の世をどう見ているのだろうか。


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