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ラミーノーズ・テトラ [熱帯魚]

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アマゾン川原産のポピュラー種。小型で安価で性格も大人しく、エサは人工飼料で充分な種で、どこの熱帯魚店でも見かける、古くから親しまれてきた魚だ。もちろん、今は原種は少なくて、養殖されたものがほとんど。鼻先の赤と尾の白黒ストライプが、実に熱帯魚的で、水草水槽に群泳させると映えることから人気。逆に、同じような他種と混泳させてしまうと、ちょっと色彩的にウルサイ印象になってしまうかもしれない。できれば、この種だけの群泳にすると、値段以上の見栄えがすると思う。
状態が良いと鼻先からエラぶた辺りまでが真っ赤になる。逆にそうでないと、購入して自分の水槽に入れても、少しずつ減っていくことが多い。ウチでも、30匹導入したが、1か月経ってみると10匹に減ってしまった。しかし、その残った個体は大変調子良く元気。弱酸性の水を好むとされているが、そんなに水質にこだわらなくてもよいと思う。それより、セット直後の不安定な水槽より、水草が順調に生育しているような、安定したこなれた水槽を心がける方がよいと思う。まあ、これは小魚全般に言えることだが。
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スタッドレスタイア [日々の徒然]

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梅の開花が聞かれ、最高気温が18度を超えた今日、スタッドレスタイアから夏用のノーマルタイアに履き替えた。
もう永い間自動車を使う生活をおくっているが、自分用のスタッドレスを買ったのは、2年前のこれが最初。M&Sのオールシーズンタイアで痛い目にあったことが動機だが、年に数回しか雪の積もらないようなこの地方で、スキーなど雪山に行く趣味も無い私に、冬用タイアが必要かどうかは疑問に思うところだ。真冬の3か月近くの間だけ履いていたが、雪の上を走った時間は、舗装の上を走っていた数百分の一だろう。
ほとんどが、アスファルトとの摩擦で消えていく、このスタッドレスタイア。買って後悔しているかといえば、そうでもない。スーパーなどに出かけてみると、この地方でもスタッドレスを履いている車が多いことに気づく。みんな、雪が降った時の保険の意味で履いているのだ。
車が贅沢品ではなく、生活必需品に近いこの地方で、天候にかかわらず車に乗らなければならないことは多い。そんな時に、雪が降ったからと言って、車を運転しないわけにはいかない。いや、晴天なら自転車もアリかもしれないが、そうでないなら尚更、車の需要は大きい。そのための用心、保険の意味で、スタッドレスを履いている人は多いし、実は私もその一人。一家で複数台の車を所有している家庭は珍しくないが、そのうちの一台にはこうした冬用のタイアを用意しているという。雪が降ることが珍しくない地方の人から見れば、まったく贅沢に思えるかもしれないが、こんな地方でも、そんな理由でスタッドレスタイアは売れているらしい。
さて、ノーマルタイアに戻した我が愛車は、ヨソ行きの洋服から普段着に着替えたように、イキイキ走る。いや、私自身の運転意識がたぶん、そうなのだろう。私はやっぱり、普段着がイイ。
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少年サッカーの撮影 その36 [少年サッカーの撮影]

できるだけ大きく被写体を撮ろう、ということは、ファインダー内で被写体の占める割合を多くしようということと同意で、予測できない不規則な動きをする被写体の場合は、ロストの確率アップとファインダー内の余裕スペースを削ることを意味する。このような場合、以前にも書いたことがあるが、ファインダーで被写体を追う時に両目を開けて、ファインダーを覗いていないほうの眼で全体の流れを読み、シャッターチャンスとみれば、ファインダーの方に集中する、という撮影法が有効だ(左右の眼の意識の切り替え)。ただこれは、慣れないと難しいし、集中力を要することも事実。試合中ずっと続けることはできないかもしれないが、プロカメラマンも使うこの方法、得て損なことはないと思う。
現実問題として、そんな長焦点距離のレンズが用意できないこともあるし、被写体に近づけないこともある。撮影場所を限定され、移動できないこともある。こうしたい、と思ってもできないことは致し方ない。何事にも限度や限界はある。しかし、この条件で、どれが、何が、ベターなのか、を常に考えたり、工夫したりすることは、大切なことだと思う。それは、サッカーをプレーしている選手たちが、どうしたらサッカーが上手くなるのか、どうすれば相手チームに勝つことができるのか、を常に考えてプレーしていることと同意なのだ。

少年サッカー36-1.jpg

私もトリミングは使う。しかし、トリミングはあくまで撮影後の後処理。撮影時には、そんなトリミングのことは考えず、できるだけ大きく被写体を切り撮るつもりでいたい(特別な意図のある場合を除いて)。安易に、後でトリミングすればイイや、と考えて撮影に臨むと、良い結果を得たことが無い。心が楽な方に流されて、努力や工夫をすることを怠けてしまいがちだから。これも、サッカーというスポーツに、真摯に向き合う選手たちと共通するところだ。
狭い画角の望遠レンズを使って、動く被写体に集中するなんて、そんな撮り方をしていたら疲れる、試合を楽しめない、応援できない、そんな保護者カメラマンの声を聞いた。それならいっそ、撮影は辞めた方が良い。二頭を追うものは一頭も得ず。高い機材を使っても、努力せずに良い画が撮れるほど、サッカー撮影は簡単ではない。高価なシューズで単純にボールを蹴っていれば上手くなるほど、サッカーという競技が簡単ではないことと、これも同意。
撮影枚数を気にせず撮れるデジタルカメラを手にいれ、我が子の勇姿を撮ろうと望遠レンズを持ち、寒暖の厳しいサッカー場の傍らに立ったのなら、ぜひとも、その表情や躍動的な姿を印象的な形に残してあげて欲しい。そのために、「サッカーをやっている風景」にならないように、我が子をできる限り大きく、時に選手の手足がはみ出てもイイくらいの気持ちで大きく、その為に縦で大きく、撮ることに挑戦してみてほしい。真剣に、そして懸命にプレーしているその姿、それを撮るのもスポーツ。子供に負けないくらい、カメラや写真と格闘してみるのもよいのではないだろうか。

以下の作例全てノートリミング
少年サッカー36-5.jpg

少年サッカー36-3.jpg

少年サッカー36-4.jpg


1枚目
CANON 1D MarkⅢ+EF300mm F2.8 L IS
焦点距離 300mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/800 絞り F3.5 評価測光
露出補正 +2/3  ISO 100  AI SERVO AF  RAW
2枚目
CANON 1D MarkⅢ+EF300mm F2.8 L IS
焦点距離 300mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/800 絞り F3.5 評価測光
露出補正 +2/3  ISO 100  AI SERVO AF  RAW
3枚目
CANON 1D MarkⅢ+EF300mm F2.8 L IS+EF1.4xEXTENDER
焦点距離 420mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/800 絞り F6.3 評価測光
露出補正 +2/3  ISO 250  AI SERVO AF  RAW
4枚目
CANON 1D MarkⅢ+EF400mm F2.8 L Ⅱ
焦点距離 400mm 絞り優先AE シャッター速度 1/1000 絞り F2.8 評価測光
露出補正 +2/3  ISO 200  AI SERVO AF  JPEG

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少年サッカーの撮影 その35 [少年サッカーの撮影]

前回、「サッカーをやっている風景」にならないように撮る、ことを書いた。そのためになるべく被写体を大きく撮る、ということは重要だと思う。人間は立っている限り縦に長い被写体だ。これを3対2の長方形で切り撮る場合、なるべく大きく撮ろうと思えば、縦長の長方形、つまり縦位置での撮影の方が適していることは、誰にでも分かる。しかし、縦位置でサッカーを撮るのは、実は言うほど簡単ではない。
試合中のサッカー選手の場合、地面に対して左右に動き場合が多いのだが、横位置での撮影なら、横に余裕があるので狙った被写体を捉えやすく、またロストしにくい。これが縦位置で大きく被写体を撮ろうとすると、左右に余裕が無いので、狙う選手の動きに合わせてレンズを細かく正確に振る必要があり、それは被写体のロストの危険性が増す。ましてや、一定方向に動く訳ではなく、不規則な動きのサッカー選手、縦で、しかもなるべく大きく、などと考えると、練習を積んで慣れないと難しい。もちろんジャスピンでなければ意味が無いから、AF駆動させジャスピンを得るまでの一瞬の間を稼ぐために、ある程度の動きの予測も必要になってくる。
以下に縦での撮影の例をあげてみた。これはある高校生サッカーの試合を撮った一枚(ノートリミング)。
1D3+EF400mm F5.6 L    焦点距離    400mm
F6.3   SS 1/1000   ISO 250    評価測光   露出補正 +1/3   AI SERVO AF  RAW
サッカー 35-1.jpg

撮りたいのはボールを競り合う赤いユニフォームの選手。失敗写真というわけではないが、どうもピリッとしない写真だ。画面全体に占める赤い選手の割合が小さいために、主題である被写体の印象が弱くなってしまった。背景にあたる部分も多く、色彩的にもちょっと目ざわり。これをトリミングしてみたのが下の写真。

サッカー 35-2.jpg

こうすると、何を撮りたかったのか、より明確になると思う。目ざわりな背景もカットされて、目的の選手が浮かび上がって、サッカー写真としては見栄えがする。この2枚の写真を見比べて、後者の方が撮影者の意図がはっきりし、見る人に与える印象が大きく違うことを分かっていただけるだろうか。
では、こうして後でトリミングすればいいじゃないか、という考えもあると思う。トリミングに関しては、私も使っているし、悪いことではないと思う。ただし、画像サイズ(解像度)が落ちることは避けられない。ブログに載せる関係上、リサイズしたが、原画は2592×3888(約1010万画素)、トリミングした画像は1510×2265(約342万画素)、約1/3になってしまった。342万画素でも、A4サイズのプリントくらいなら耐えられるかもしれないが、それ以上では苦しいだろう。

少年サッカー35-3.jpg

少年サッカー35-4.jpg

上の作例
CANON 1D MarkⅢ+EF300mm F2.8 L IS
焦点距離 300mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/640 絞り F4.0 評価測光
露出補正 +1  ISO 100  AI SERVO AF  RAW
CANON 1D MarkⅢ+EF300mm F2.8 L IS
焦点距離 300mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/800 絞り F3.5 評価測光
露出補正 +2/3  ISO 100  AI SERVO AF  JPEG

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ひなまつり [日々の徒然]

今日はひな祭り。七夕や節分と同じように、国民の祝日にはなっていないので、休日ではない。
大家族が珍しく無かった時代は、ひな祭りと言えばひな人形を飾って祝うのが当たり前だった。それが核家族化がすすみ、住宅事情が厳しくなると、五段飾り・七段飾りというのが難しくなって、お内裏様・お雛様だけのコンパクトなひな人形を多く見かけるようになった。そして今や少子化時代である。出生率が1.3と言われる現在、女の子のいない家庭が珍しくなく、ひな人形を飾ることなく過ぎていく家庭も増えていることだろう。
幸い我が家は女の子に恵まれて、ひな人形を飾ることができた。しかしここ数年は、出して飾るのが面倒に思えたり、忙しさにかまけて出しそびれたりして、押し入れ暮らしが続いていた。まったく不謹慎な話だ。
何年かぶりにこうして、今年は飾ってみた。さて当人は、先日高校を卒業して、進学のためにまもなく家を出る18歳。我が家で愛想を振りまいていてくれた女の子は、すっかり大きくなり、大人の一歩手前になってしまった。この子がこの家で、女の子でいられる最後の年になるかもしれない、との想いもある。
いづれは、女になり妻になり母になるだろう。その一歩を踏み出す門出に、ひな人形が相応しいのかどうか分からないが、不徳の親の仕打ちにも関わらず、おひな様はうっすら笑っていてくれるようである。
ひなまつり.jpg

ちなみに、ウチのひな人形は、家内の母の手造りの木目込み人形だ。なんとなく温かさを感じる。
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卒業 [巷の雑感]

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3年間通ったこの校舎、体育館。ここにもう入ることはないかもしれない。熱い、寒いとよく文句を言った制服を着るのも、今日が最後。真夏の炎天下も雪の舞う日も歩いた通学路。もう二度と歩かない、ということは無いだろうけど、それでも・・・。今日は公立高校の卒業式。多くの涙が流された日かもしれない。
小学校の卒業式。6年間もの間慣れ親しんだ学校や先生たちと別れるのは悲しいけれど、多くの友達とはまた同じ中学校で会える。中学校の卒業式。みんなそれぞれの高校に分かれていくのだが、それでも遠くに行く子は少ないので、また街のどこかで会うこともあるかもしれない。高校の卒業式。社会へ出る者、大学へ進学する者、親元を離れ一人の生活に旅立つ者、其々。年代が上がるにつれ、「また会えるよね」という言葉の現実味が薄くなっていく。
過去を振り返ることは、年代が上がるにつれ、より易くなる。それだけ振り返る過去が多く、大きく、重くなっていくからだろう。子供や若者には、これから先の未来の方が多く、大きく、重要なのだから、当然のことだろう。それでも、卒業という節目は必ずやってくるし、それを境に生活や環境が変わってしまうのだから、一瞬でも振り返ること、それを記憶していくことは、悪いことではないと思う。卒業アルバムや後輩からの寄せ書きは、時間と空間を共有した証として、いつまでも残される。
憂えることは、そんな旅立ちの日に、次の将来へのビジョンが未だ確定していない子達がいることだ。一部の推薦入学者を除いては、国公立大学の入学者の発表はまだ無い。大学へ進学する者で、こうした進路が確定していない子にとっては、卒業式を感慨をもって迎えることなど無理かもしれない。中学の卒業式の場合は、公立高校の受験の前にあるので、中学卒業式の日も高校受験に向けて机に向かわなければならない現実。卒業という実感が、受験という現実に押しつぶされていることもある。卒業とは、過ぎてからやっとその意味を知るものなのかもしれない。
人は多くの節目を乗り越えて、成長・成熟していくのだろう。そんな節目の日に、涙を流せる幸せを、後になってでも分かって欲しい。そして今日は素直に、卒業おめでとう、と言いたい。


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