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夏休み [巷の雑感]

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我が子が部活から帰ってくると、セミの声が随分少なくなった、と言う。確かに、今が盛りと鳴いていたあの声が、このところ随分少なくなり、代わって夜にはコオロギの声が聞こえるようになった。日が落ちるのが早くなり、朝からムッとした熱気は静まっている。窓を開けると入ってくるのは熱風ではなく、空を見上げれば、入道雲も少なくなった。季節が変わろうとしている。
私が小学生だった頃の話だから、やっぱり昭和40年代だ。その頃もやっぱり夏休みは楽しみだった。夏休みになって、毎日学校に行かなくなったら、さて何をしてやろうか、と随分前から計画を練っていたものだった。今思い出せば、昼ぐらいまで寝てやろう、とか、早起きしてちょっと離れた川へ魚釣りに行こう、とか、そんなものだったような気がする。小学生の身としては、行動範囲は自転車で行ける限られたものだし、予算もない。毎朝学校ではラジオ体操があるのだが、せっかく夏休みになったのだから、早起きして学校に行くのもなあ、と思うと、行く気にはなれなかった。それでも、学校のプールの開放日にはよく行ったし、その頃は近所にはまだ空地も多かったから、友達と野球をしたり、とにかく時間を気にせずに遊べることが嬉しかった。
そんな友達に、「明日も遊ぼうぜ」というと、「いやダメなんだ。明日から親せきの家に泊まりに行くから」とか、「来週から家族で旅行だから、それまでに宿題を片付けておかないと」と断られると、ちょっと悲しい思いをした記憶が、今でも鮮明に残っている。
私の家は自営業で、両親とも働いていた。私が夏休みだからといって、親が休みになることはない。けっして裕福とは言えない家だったから、両親はお盆も働いていたし、そんな訳だから家族旅行とかには無縁だった。母方の実家にはよく行ったし、泊まることもあった。それが夏休みの旅行替わりと親は思っていたのかもしれないが、同じ市内だし、遠くに来て珍しいものを見たわけでも、美味しいものを食べられた訳でもなかった。大人たちは飲んで談笑がよかったのかもしれないが、どうも母の実家の食事が私には合わなくて、いつも無理やり食べていた記憶がある。そんな訳だから、あまり行きたくなかったし、行ったら早く帰りたいと思い続けていた。
そんな夏休みが終わって学校に行くと、旅行に行った、とか、親戚の家に行くのに初めて新幹線に乗った、とか、有名な遊園地に行った、とかの話で教室はもちきり。私はといえば、結局は近所で遊んでいただけで、夏休みの日記に書くような期待したイベントも無く、平凡で、取り立てて感動も何も無い日々を送っていたので、肩身の狭い思いをしていたことを、この時期になるとよく思い出す。正直言って、夏休み明けの学校には行きたくなかった。もちろん、私と同じような境遇の友人もいたので、登校拒否にはならなかったが、それが毎年となると、うらやましいという気持ち、どうして会社員の家に生まれなかったのだろう、という子供としてはどうしようもない不満、親を恨む気持ちがあったことは、確かだった。
中学生になると部活動が夏休みの中心になり、そんな感情も何処かに行ってしまったが、それでも家族旅行のために練習を休む友人を、妬む気持ちで眺めていたことはあった。高校生になると、部活動と受験勉強に押しつぶされて、もうそれどころではなかった。
今年は日本を取り巻く経済情勢のせいで、この夏に海外旅行に行った人は例年より少ないようだ。行楽地が混雑している映像、帰省ラッシュのピークと渋滞を知らせるアナウンサーの声、海外からの帰国で混雑している空港や、駅のホームをお土産を持って行き来する人のインタビュー。テレビから流れるそんな映像は、あの頃も流れていたし、それを見ている自分が、うらやましい気持ちを押し包むために、自分とは無縁の世界の出来事だと、思い込むしかなかったのも、あの頃と同じ。
月日は流れ、時代も変わり、私も3児の父となった。世に中にはいろんな苦労があるけれども、少なくとも自分の苦しんだ苦労だけは、自分の子供たちにはさせたくない、私と同じ思いはさせたくない、という気持ちが親としてある。そう思い続け、気遣い、努力し続けてきたつもりなのだが、やっぱりうまくはいかないことが多い。私の子供たちも、あの頃の私と同じような想い、うらやむ想い、親を恨む想い、を持っているのだろうか。
その立場になって、そうした状況に直面して、初めて分かることも多い。たぶん、私が小学生の頃、両親も実は今の私と同じ気持ち、考えだったのかもしれない、と今になって気付く。口には出さなかったが、それが当たり前だ、普通だ、とは思ってはいなかっただろう。他の家庭のように、家族で泊まりがけの旅行に行き、家族全員で笑い、感動して、楽しみたかったに違いない。ただいろんな理由で、それが許されず、我慢しなければならなかったのだろう。子供の私と同様に、私の親も我慢していたのだろう。もう少し我慢すれば、もう少し頑張れば、そういったことが楽しめるようになる、と。
その立場になって、そうした状況に直面して、しかし私は違うと思う。この家族が、こうしていつまでも一緒に居られる時間は、そう長くはない、子供がそれを望む年代は、そう長くはない。今できることを、今しなければ、たとえ数年後にできたとしても、その時には人の心も、周りの環境も、価値観も、感動も、変わってしまっている。将来の備える、未来により大きなものを手にするために、今は我慢する、それはそれで良いことかもしれないが、流れる時間は止まっていてはくれない。子供はいつまでも子供ままでいる訳ではない。
オリンピックが終わった。あと一週間もすれば新学期が始まり、夏休みが終わる。振り返ってみて我が子は、今年の夏休みはこれをした、今年の夏休みはこれが楽しかった、感動した、といえるものがあっただろうか。もしそれが無いのであれば、親の私の責任かもしれない。夏休みはあと一週間しかないが、あと一週間残っている。
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