SSブログ

がんばれ!Kiss DX [カメラ]

Kiss DX.JPG

昨年12月、例のボランティアカメラマンとして、フットサルの大会の撮影に行ってきました。
当日の会場は地元のドーム。立派な体育館ほど明るくなく、外光が入る日中はそれでも何とかなるのですが、夕方や夜になるとなかなか辛い光量になる所です。大会も無事に終わり、最後に表彰式。県サッカー協会依頼のカメラマンとしては、しっかり押さえなくてはならない場面です。すっかり日が落ち、ドームの照明だけでは心許無い状況で、Kiss DX+EF24-70 F2.8Lにフラッシュを装着して臨みました。名前を呼ばれ、賞状を受け取るシーンは、実は一瞬です。受賞者の顔が欲しいので、数枚押さえたいところですが、アレッ、ピンが来ない。合焦しないので、シャッターが切れない。再度シャッター半押しを繰り返して、やっと合焦したころには、もう次の受賞者が呼ばれていて、完全に撮り逃がしてしまいました。あせった私は、瞬時に1D3にチェンジして撮影再開。今度はウソのように、何事も無くスパッ・スパッと撮影できます。しかし、撮り逃したシーンは二度とやってこないのは自明のこと。これではカメラマンとしては失格ですね。報道現場のカメラマンは当然として、こうしたイベント撮影でも、「もう一度お願いします」というわけにはいきません。それを踏まえて、構図がどうの、色味がどうの、という前に、しっかり撮る、ということの大切さを思い知らされた瞬間でした。コンマ何秒のシーンを切り撮ることを常としている身としては、何ともお恥ずかしい限りです。
使い手の力量を棚に上げさせていただくと、やっぱり1D3とKiss DXとでは、いろんな意味で違いがあり、今回はAF性能の違いを痛感したケースでした。Kiss DXでも、日中屋外の光量豊富な場面なら、こんなことは無かったのかもしれませんが、でもそんな時でもとっさの撮影に微妙にピンが来なかったりすると、フラストレーションが溜まることも経験があります。加えてファインダーが小さく見難いのも、こうした瞬時の撮影でピンを確認する、フレーミングする、という点でやりにくいと感じたこともあって、どうしても数枚押さえておかないと安心できないです。まあ、1D3とKiss DXでは、価格が何倍も違うので、性能差があっても当然なわけで、Kiss DXを悪者にするつもりは毛頭無いのですが(Kiss DXには、小型軽量という最大の魅力がありますので)、他人のために撮るという、撮り逃がしや失敗が致命的になるといったケースでは、やっぱりちょっと荷が重いのかもしれない、と感じてしまいました。それに比べれば、1D3の何と信頼感の有ることか。別に、防塵防滴仕様とか連写の速さだけでなく、撮影者の意思にダイレクトに反応してくれる信頼感とAF性能です(再度言いますが、自分の腕を棚に上げて、の話です)。
普段使いの気軽な撮影には、コンパクトなKiss DXは重宝しているので、手放す気は今のところ無いのですが、こういった依頼撮影でのサブ機を、ちょっと考えさせられた一件でした。
nice!(2)  コメント(14) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

赤福 [日々の徒然]

赤福1.JPG

実家の両親が、老人会で伊勢神宮へ初詣に行ってきた、と言って、お土産を持って来てくれました。伊勢の名物「赤福」です。
地元の名物というのは、その地元に住んでいる者にとっては、よく知っているし、見たことも食べたこともあるし、身近で手に入れることもできるのだけど、かといって頻繁に口にするということも無く、どこかへ行った際に手土産げに買うことの方が圧倒的に多い、というものではないでしょうか。私にとっての「赤福」も、そんな一品です。
一見オハギのように見えますが、こし餡の微妙な甘さが魅力。今回久しぶりに食べてみて、意外とサラッとした口当たりの餡と、中の柔らかい白い餅とを組み合わすと、見た目ほどの甘ったるさはなく、アンコ嫌いのウチの子たちも、これなら食べます(まあ、美味しいものに対しては、主義主張は無いということでしょう)。オハギなんかだと、一つ食べるともう遠慮したくなる私でさえ、2~3個は食べられるほど。東京に知人や家内の実家などに、手土産に買っていくことも多い品ですが、概ね好評なのも分かる気がします。
一時期、例の偽装問題で製造を中断していましたが、規模を縮小して生産再開してます。手に入りにくかった時もあったのですが、それも解消されたようです。製造から時間が経つと、中の餅が硬くなって魅力半減するのが難点ですが、また手土産に困ることがなくなりそうで、よかった・ヨカッタ。
赤福2.jpg

nice!(3)  コメント(7) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

京都へ初詣 その3 [日々の徒然]

初詣3-1.JPG

せっかく京都まで来たのだから、初詣だけで帰るのは惜しくなり、ちょっと付近を散策。近くの嵐山の方に足を延ばしてみました。渡月橋付近は土産物店が立ち並ぶ観光地。何年かぶりにここを訪れてみると、以前はタレントショップなども多かったように記憶していますが、今はオーソドックスな感じの戻ったようでした。好物の生八橋を買っていると、隣から香ばしい煎餅を焼く匂いが。この香りに誘われて、焼きたて煎餅をかじりながら、しばし観光客になって土産物を物色してしまいました。
初詣3-2.JPG

その後、愚息2号(小学5年生)が、京都タワーに行きたいというので、これもまあ、私としては随分久しぶりに行ってみました。ご存じの方も多いと思いますが、京都タワーは9階建てのビルの屋上に建てられたタワーで、エッフェル塔や東京タワーのような、鉄骨で組み上げられた構造ではなく、鋼板を溶接で繋ぎ合せたモノコック形状で、円筒形の形をしています。地上から97.4mのところに展望台があって、今となってはそれほど高いタワーでもないのですが、京都は建物の高さ制限があることも幸いしてか、360度視界を妨げられることなく、京都市内を一望できます。円形の展望台には、ガラス張りの周囲に沿って20ほどの望遠鏡が設置されています。昔は100円を入れて見る望遠鏡だったように記憶してますが、今は無料。我が家族はとっかえひっかえ、その望遠鏡を覗いては、夕闇迫る京都市内の眺望を楽しんでしまいました。
初詣3-3.JPG

さてこんな風に、我が家の初詣も終了。初詣が正月行事の最後というのも変かもしれませんが、これが終わると我が家も日常に戻っていきます。私が願ったのは「家内安全」のみ。今年も無事に家族が過ごせて、来年またこうして初詣に来れたら、それだけで充分と思っています。我が家も皆さんも、たとえ幸はなくても、悪の無い一年でありますように。
nice!(0)  コメント(3) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

京都へ初詣 その2 [日々の徒然]

初詣2-1.JPG

もちろん、今回の初詣にもカメラ持参。こういった出かけた際のチョイ撮りにはコンデジで充分なのかもしれませんが、ピントが合っているのかどうか分からない、どのタイミングでシャッターが切れたのか分からない、ホワイトバランスにイマイチ信頼がおけない、というCOOLPIX S520よりは、やっぱりKiss DXでしょう。ということで、今回はEF24mm F1.4Lのみ持っての1本勝負。実はこのレンズ、昨年末に金欠から売却しようと考え、ヤフオクに出したりもしたのですが、結局は買い手付かず。これは「売るな」という暗示か、とも思い、しばらく手元に置いて使っていくことにしたものです。
さてウチの長男は、今年4月には高校3年生。そう、受験の年です。大学入試は来年なので、合格祈願は次回の初詣の時でよさそうなのですが、推薦入学を狙っている身としては、今年中が勝負。伏見稲荷でもよかったのですが、京都で学問の神様と言えば、菅原道真公の北野天満宮でしょう。で、伏見稲荷参拝の後に行ってきました。もちろんピークの過ぎている時期ですから、屋台などもほとんど無く、日常に戻りつつある感じでしたが、ここはやはり学生らしき参拝者が多かったですね。そしてちゃんとそれ用の祈願セットもあって、
・お守り(勧学御守と書かれている)
・お札(これも定番ですね)
・絵馬(ちゃんと今年3月まで用とそれ以降用に分けて奉納する)
・箸(梅香箸と書かれていますが、上級の割箸みたい)
・お茶(北野天満宮と書かれた、オリジナルの粉末梅こんぶ茶)
・鉛筆(今の子は鉛筆なって使うのかな、と思ったら、ちゃんとマークシート用と書かれてました)
・鉢巻(う~ん、これを締めて勉強しろと言うことかなあ。それとも受験会場に締めて行け、と)
などがセットになって売っていました。
初詣2-2.JPG

まあ、需要が多いからこそ、こういったセットを造ったのでしょうし、とりあえず簡単と言えば簡単なのですが、何となく商売気があるような気も。でも、買ってしまうのですよ、受験生の親としては。
ココのおみくじはペラペラの紙でなく、結構厚い紙を使っているし、絵馬はマジックではなく毛筆で書かせるといった点は好感が持てます。で、ウチの愚息1号君は、苦労しながら絵馬に書き込み、奉納して初詣終了です。
御利益がありますように!
初詣2-3.JPG

Kiss DX+EF24mm F1.4 L  焦点距離   24mm  絞り優先
F7.1   SS 1/100   ISO 400   評価測光   露出補正 +-0  ONE SHOT AF  RAW

この記事とはまったく関係ありませんが・・・


nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

京都へ初詣 その1 [日々の徒然]

初詣1-1.jpg

地方在住になって、どうも人混みの中が苦手になってしまった、というのは言い訳でしょうが、正月の喧騒が収まった今頃、初詣に行ってきました。行ったのはいつものところ、京都の伏見稲荷大社です。
一年前の初詣記事にも書きましたが、もうここには随分通っています。こう毎年行っていると、行かないと罰が当たるような気もしてくるので、ココは外せません。毎年子供達の行事などの合間を縫って、家族全員が揃って行ける今年最初の日が初詣の日なのですが、長女の大学は1月5日から始まるので、今年は全員揃って行くことはできませんでした。
私の住んでいる所から京都までは、昨年の新名神の一部開通で、グッと時間短縮されました。今まで2時間近くかかっていたのが、1時間ちょっとで到着。早く着くと駐車場もまだ混雑していなくて、スイスイと詣でられました。スイスイといえば、裏山の参道も。これも以前書いたことがあるのですが、伏見稲荷には本殿の裏山に登る参道があって、毎年(そう、私が小学生の頃から初詣に来ると必ず)朱の鳥居が連なる七百段以上の細い石段を登っていきます。毎年落ちていく自分の体力測定の場で、子供達が駆け上がっていく姿(昔は自分もそうだった)を見ながら、一歩一歩この一年を踏みしめながら上がっていくのが通例なのですが、今年はその参道も空いていたこともあってマイペースで登れ、例年より楽に山頂に立つことができました(それでも、汗はかきましたが)。決してこの一年で体力回復したわけでも、健康増進に励んだわけでもないので、精神的気軽さ(開き直りとも言う)のせいでしょうかね。
この山頂には無料のおみくじが置いてあって、息を切らせながらそれを引くのも、毎年の我が家の通例。まあ当たる当たらないはともかく、お金を出して引くおみくじより、努力して引いた無料のおみくじの方が、何となく気になってしまうのも毎年のこと。ここ数年まったく冴えない結果の私ですが、今回はちょっと良かったです。
初詣1-2.jpg

nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

何でもないようなこと [巷の雑感]

何でもないような.jpg

年が明けて、新しいスタートをきったというのに、去年の話を持ち出すのは大変気が引けるのだが、今回だけ大目に見てください。
年末には年末らしい番組を、とテレビ局は知恵を絞って企画しているのだろう。その日ウチの家族は、そんな番組を見ていた。私は特に興味も無く、見る気も無かったのだが、昔の歌を紹介していたその番組から流れてきたフレーズに聞き覚えがあった。

何でもないようなことが
幸せだったと思う
何でもない夜のこと
二度とは戻れない夜

ご存じの方も多いと思うが、THE虎舞竜の「ロード」という、今から15年度ほど前に流行った曲だ。第十三章まである長い曲らしいのだが、特にファンでもなかった私は、あまり詳しくは知らない。でも、このサビの部分と悲しげなハーモニカの旋律は、今でも耳に残っている。
途切れることも、停まることも無く流れていく日々を、時に懸命に、時に呆然と、そして時に喜怒哀楽を伴って、私たちは生きている。年の節目の今、自分の歩んできた人生を振り返ってみると、やっぱりそんなことの繰り返しだったと思うし、ここから先もまた、そうだろう。嬉しいこと、楽しいことばかりの日々なら、それが当たり前になって、次第に嬉しくも楽しくも感じなくなるだろう。苦しいこと、辛いことばかりの日々なら、耐えることに慣れてしまって、下を向くことが当たり前に思えるのかもしれない。しかし実際には、そんなことはない。苦しいときがあったからこそ、それが無くなった今を喜べるし、楽しい時期があったからこそ、今の苦しみを耐えて夢を見れる。
一年という区切りを定めたのは人間で、それは過去を振り返り、未来に思いを馳せるためだと、以前書いた。この一年、懸命に全力疾走を続けた人もいるだろう。これ以上無いと思えるほど落ち込んだ人もいるかもしれない。私はと言えば、昨年は実に多くのものを失った年だった。それは意図して手放したものも、仕方なく無くしたものもある。あの頃の、何でもないような日常の日々が続いていたことが、実は幸せなことで、愚かにも二度と繰り返せなくなって、やっと気付いたこともあった。しかし、私の手は所詮二本しか無く小さい。持てる量も限られていることに、この歳になってやっと分かった。何かを失わなければ、新しく何かを得ることはできないのだ、と。
年の区切りを通り越えることを、もう何度も繰り返してきた。これまではいつも慌ただしく、急かされ、感慨も無く通り越してきたこのロードの区切りを、今年はゆっくりと、思いを馳せて通っていけるような気がした。それも少し持つ手が軽くなったせいだろうか。願わくば、次にこの区切りを通る時は、この手に大きな幸せを持っていたいものだが、さてその幸せとは何だろう。きっとそれは、「何でもないようなこと」なのだろう。
良い年になりますように、と年賀状に書き、初詣に行って両手を合わせて願う。そんな年末年始の特別な時間が過ぎて、今日あたりから徐々に日常生活に戻っていく方も多いのではないだろうか。縁あって、このブログにやって来ていただいている方々。皆さんのこの一年が、昨年以上に素晴らしい年になるかどうかは、皆さんにお任せします。私はただ、大して変わらない日々、何でもないような日々、当り前と思うことが当たり前のように流れていく日々が、皆さんに今年も続いて行くことをお祈りして、今年の最初の記事とさせていただきます。
nice!(3)  コメント(5) 
共通テーマ:趣味・カルチャー