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セナの思い出 前編 [日々の徒然]

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先日所用で、鈴鹿市役所に行ってきました。鈴鹿市役所は3年ほど前に建物が建て替えられて、広くて綺麗な、15階建てのモダンなビルになってました。以前の古くて、暗くて、建て増しを繰り返したために分かりにくかった構造とは180度変わり、開放感溢れる実にフレンドリーな雰囲気です。
広いロビーの一角に「モータースポーツ振興コーナー」というのがあって、その時々にいろんな展示があるのですが、私が訪れた時はちょうど、アイルトン・セナの写真展が行われていました。そういえば彼がこの世を去って、もう15年になります。
30代以上の方には記憶があることだと思いますが、アイルトン・セナといえば、当時「音速の貴公子」という通称で呼ばれたF1ドライバー。そのずば抜けた成績もさることながら、甘い風貌と天才を難じさせるストイックな言動、そして日本のHONDAとも縁が深かったために、日本でのF1人気の盛り上がりと共に、モータースポーツとは縁の無い人にも知れ渡っていた、代表的なF1ドライバーですね。
私が彼と初めて直接会ったのは、1987年。鈴鹿サーキットで初めてF1が開催された時です。あの時は、F1の開催・運営に関して、皆が知識も経験も不足で、サーキットも鈴鹿市も周辺市民も、まあドタバタで、どうなることか誰も分からない状態でした。当時、鈴鹿サーキット近くの某ホテルに勤務していた私は、何カ月も前からサーキットと打ち合わせを繰り返していたにも関わらず、想定外の出来事の連続で、ほとんど家に帰れなかったことを思い出します。
当時のサーキットホテルは今のような規模ではなく、外国からの著名人や関係者全員を収容できるキャパシティも付帯設備も足らなかったので、とにかく周辺ホテルの部屋を抑えて、大挙押し寄せる人と様々な要望に対処しようとしていました。鈴鹿市の行政を含めて協力体制を作ったのですが、開催日が近づくにつれ、2輪のWGPや8耐とは桁違いな規模であることが分かってきて、不安でしたね。何といっても初開催ですから、何が起こるか分からない状態でした。
もちろん私が勤めていたホテルも、サーキット名義で多くの部屋を押さえられていましたが、誰がどのように使うのかは、間近にならないと分かりませんでした。開催一週間ほど前になって、宿泊者名簿がやっと送られてきたのですが、何とその中にアイルトン・セナの名前が。当時所属していたロータスチームのほとんどが、私の勤めていたホテルに宿泊するようで、当時のセナのチームメイトだった、中嶋悟氏の名前もありました。以前からF1には興味があった私は、ちょっとウキウキしながらその日を待っていたことを、今も覚えています。

(つづく)

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