SSブログ

セナの思い出 中編 [日々の徒然]

鈴鹿市は工業立地に恵まれていることもあって、以前からその誘致には熱心で、その代表例がホンダですね(今ではシャープや東芝の工場も周辺にありますが)。鈴鹿のホテルといっても大規模なものは無く、通常はそんな企業群にやってくる出張客相手のホテルばかりです。しかしサーキットでレース開催日となると、ドッと観戦客がやってくるので、(今ではホテル数も増えましたが)当時はまだまだ部屋数が足りず、厳しい争奪戦がありました。8耐は言うに及ばず、2輪のWGPや世界耐久選手権、モトクロス世界選手権などの世界戦の場合は特に。はっきり言って、完全な売り手市場でしたから、部屋代を2倍(100%UP)にしても十分売れましたし、F1の時などは3倍以上にするホテルもありました。ただ当時担当だった私は、それはやりすぎだろう、という感覚があって、通常時の一割増(10%UP)という、かなり良心的価格設定だったですね(商売下手でした)。
ただ、サーキットホテルを除く周辺ホテルのなかでは中心的存在だったせいもあって、こうしたビックレースの際には、鈴鹿サーキットから部屋を押さえられることが多かったです。鈴鹿市の企業として、こうしたレース開催・成功に協力するという意味でそうしていたのですが、反面、一般出張客や長期滞在客、馴染みのレース観戦客などの要望に応えられないことを意味し、社内でもいろいろ議論があったことを思い出します。F1開催初年は、8割くらいの部屋をサーキットに差し出しましたが、次年から徐々に減らしていき(サーキットホテルな拡張もあって)、数年後には半分くらいになったように憶えています。
さて話は戻って、そのアイルトン・セナ氏がホテルにやって来たのは、東京での様々なイベントや仕事を終えてからでしたから、チーム関係者の到着から2日後の深夜でした。フロントに着くなり、いきなり文句を言いだします。「サーキットホテルではなく、なぜこのホテルなのか?」と。宿泊先を振り分けたのは私たちではなく、我々はサーキットから送られてきた名簿の方々に部屋を提供しているのだ、と何度も説明したのですが、まったく納得してもらえず、「サーキットホテルに替えろ」の一点張り。これには困りました。それはサーキットの担当者に言ってもらわないと我々ではできないし、もう深夜なので、とりあえず今夜はここで宿泊し、明日にでも交渉してみてはどうか、と言ったのですが、フロント前の椅子に座り込んだまま動く様子は無し。
困り果てた私は、手当たり次第に電話を掛けまくって、何とか関係者を探し出し、説明と説得のために来てもらいました。それでも小一時間ほど駄々をこねていたセナ氏は、しぶしぶ納得して、まあ何とかその日は部屋に入りました。結局、サーキットホテルにも余裕がまったく無くて、開催期間中はずっと当ホテルの宿泊者でいましたが、あまり笑顔を見せない、いつも何か考え込んでいるような表情の青年(当時の私とあまり年が変わらない)でした。
(つづく)
セナの思い出2.jpg

nice!(1)  コメント(3) 
共通テーマ:趣味・カルチャー