SSブログ

すそ野にて 2-2 [巷の雑感]

前回の記事で、多くの熱いコメントをいただきました。それに対して私の想いを、追記という形で書かせていただきたいと思います。
まず最初に、前回の補足説明をさせていただきたいと思います。
ファールの笛が吹かれた前後に、当該選手の口からは一言も言葉は発せられませんでした。また両チームのベンチからも、見ていた周辺の人からも、抗議やアピールの声は一切出ておりませんでした。従って、主審を侮蔑するような発言はどこからも無かったと断言できます。「あんな8人制サッカーの規則を知らない主審のレッドカードに従わなければならないのか」という記述は、実際に誰かから発せられた声ではなく、その場の多くの意志をくみ取った私の想いで、この点で誤解を起こさせるような記述になってしまったことは、ここでお詫び申し上げます。
また当該選手間でも、言い争いや感情的な行動は一切なく、ラフプレーでもありません。ボールを争って両者とも倒れましたが、両者ともユニフォームを引っ張るなどの行為すらありませんでした。試合開始からそれまで、当該選手に限らずこの試合では、一度も主審が注意を与えるようなシーンはありませんでしたし、ましてやイエローカードなどは比無。ではなぜ一発レッドカードが出されたのか、その答えを私は持ちえません。従って、カードもらったその子に対して、未だにかける言葉を私は持てないです。
しかし、レッドカードが出された是非をここで論じようと思って書いたわけではありません。第一、その場の状況を、公正にかつ詳細に文字で説明するだけの文章力を、私は持ち合わせてはいないと思うからです。では何が書きたかったかと言うと、「小学生サッカーの試合における、一発レッドカード」の意味についてです。他年代や、ましてやJリーグや日本代表戦の話ではありません。

レッドカードが出されると、その選手はその場を退去しなければなりません。今回は交代選手が入りましたが、レッドカードは強制交代ではありません。ベンチに戻ることは許されず、その場を去らなければなりません。そして、その試合のみならず、その後に試合でも、です。その目的は、サッカー選手としてあるまじき行為をしたことへの罰であり、反省を促すためだと思います。イエローカードが2枚目になってレッドカードになった場合、以前注意したのに改善が見られない、自己反省が行われていなようだ、ということになり、当該選手もその場を離れて冷静に振り返ってみれば、反省すべき点が必ずあると思います。一発レッドカードの場合は、サッカー選手として重大な過失があった場合や他の選手に対して危険な行為が有った場合、スポーツマンシップに反する行為が認められた場合など、当該試合を離れ、時間を掛けて、より深く冷静になって反省することを求めることが目的だと思います。ただ罰を与えることだけが目的ではなく、悪かった行為を反省させて、より良い選手に育てること、それが前回書いた「小学生サッカーの教育的要素」だと、私は思っています。その反省のためには、ワンプレーでその試合から外されなければならないほどの重要な過失があったことを、主審であれ監督であれ、まずその子に示さなければなりません。そうでなければ、ただ犯罪者を決めて罪を課すのみで、教育的でも何でも無くなってしまうからです。

その試合だけでなく、次の試合も出れなくて、チームのみんなに迷惑をかけた。みんなの夢を壊してしまった。僕はそんなに悪いことをしたのだろうか。もしそうなら、もう辞めてもいい。そんなことをその後、その子は言ったようです(後日伝え聞いただけで、私は直接は聞いていませんが)。もし私がそのチームの監督だったとしたら、未だにその子にかける言葉を持ちえません。何を反省すべきなのか、分からないからです。結果、その子の教育的な意義は薄れてしまったと言えると思います。レッドカードを出されて、ベンチに戻ってきたその子は、チームメイトに一礼して泣き崩れました。しかし、その姿を見た大会役員らしき人は、「ベンチから出て!」と怒鳴りました。しかたなく、その子はベンチから出て、後ろに下がって泣きながら座り込みました。その姿を見たその大会役員らしき人は再度、「もっと下がって!」と叫びました。その人の行為はルールに則ったものでしょう。しかし、注目された試合だったために多くの観戦者が居るなかで、遠くまで届く大きな声だったので、その場にいた多くの大人、多くのサッカー少年たちが、その光景を見て、聞いていました。反省の糸口さえ見つけられないその子は、衆目の中泣きながら、罪人としてその場を去らなければなりませんでした。その間グランドでは、フリーキックかPKか、のドタバタが起こっていました。

主審にはその試合を公平に、かつ円滑に運営する目的があり、そのためにイエローカードやレッドカードを出す権限が与えられています。小学生の当該選手にとっては、主審の存在はとても大きな存在だと思います。あのファールでイエロカードが出ていたら、まあしょうがない、という気分に見ていた人はなったでしょう。あのファールで、その子のその試合2枚目のイエローカードが出たらなら、もう少し注意すべきだった、と見ていた人は思ったことでしょう。しかし、一発レッドカードでした。カードを出された直後、見ていた多くの人からどよめきが起こったのは、「なぜ」という思いが誰にもあったからでしょう。しかし、主審に異議を唱えるのはタブーとされていたので、誰も表立って声を発しませんでした。それでもその後、ルールに則り、毅然と、かつ粛々と試合が進められていたら、主審の判断と処置が正しかった、ということになったかもしれません。しかしそうではありませんでした。その後、主審はカードの意味を説明することなく、その子に退去を命じるだけで、Bチームの監督から「PKではないのか」というクレームに対処するのに忙しかったようです。これではレッドカードの教育的意味どころか、試合を公平に円滑に運営する目的さえも果たせないのではないか、多くの不満と不信を生んだだけではないか、ただ、罪人を一人造っただけのような気がする、というのは、言いすぎでしょうか。
主審といえども人間です。間違いもあるかもしれません。しかしそれをとやかく言っては、大会も試合も、サッカーという競技自体も成立しません。また、その主審の判断に、周りがいちいちクレームを付けているようでは、試合進行の妨害にしかなりえないと思います。しかし一旦主審として笛を吹くなら、最初から最後まで毅然とジャッジして欲しいし、イエローカードやレッドカードの権利を行使するのなら、まずはルールや規則を熟知することぐらいの、襟を正してほしいと思います。主審は小学生のその子らに、何ら恨みは無いはずです。一発レッドカードのような強権を発動するのは、その子のサッカーに対する思いを大きく変えることにつながる場合もあるのですから、カードを出す行為が、その意味が、小学生サッカー選手の反省を促し、より良い選手を育てるためのものだと、信じていたいからです。たとえ、すそ野の試合でも。
nice!(0)  コメント(16) 
共通テーマ:趣味・カルチャー