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昔、いや、ちょっと前 後編 [カメラ]

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上の写真
CANON EOS 10D+SIGMA 100-300mm F4 EX HSM  焦点距離   300mm  絞り優先
F11.0   SS 1/90   ISO 100   評価測光   露出補正 0   AI SERVO AF  JPEG

そうした最初期の頃の写真を眺めていると、あの頃はこうだったなあ、なんて思い出に浸ることも暫し。僅か数年のことなのに、ウチの愚息たち、顔も体もずいぶん変わった。懐かしい気持ちと同様に、今だったらもう少し違った撮り方、もう少し見栄えがする写真にできたのではないか、とも思える。そしてその頃はどうだったかと記憶を遡ると、やっぱり「この子達の姿を、この表情を、いつまでも残しておきたい、できれば今自分の目で見たままに」と思い続けていたような気がする。
当時、限られた予算の中で最良のものを、と毎夜カタログを枕元において悩んでいたこと、ネットでいろんな情報を得たこと、それは今も同じ。それが今では、そんな当初の予算の何倍もの金額を投下しているのだから、そしてそんなに後悔をしていないのだから、趣味とはまさに恐ろしいものだ。最短距離を進もうとしていた割には、無駄な寄り道をしてきたような気もするし、そういったステップやプロセスを踏まないと、ここまでは来れなかったような気もする。趣味には「最短距離」とか「寄り道」というのは、本当は無いのかもしれない。
現在、熱帯魚の飼育も趣味として15年近く続けている。熱帯魚は生き物だから、どんなに愛情をこめて育てても、いづれ死に至る。今もし飼っている熱帯魚が全て死に、この趣味をやめてしまったら、経験や記憶や思い出以外、何も残らない。写真やカメラも続けなかったら、機材への投資は「無駄使い」という名の下に、マイナスイメージとしてしか残らないかもしれない。それでもこうして、撮った写真はいつまでも残る。手に触れることのできない、HDD内のデータとしてかもしれないが、思いついた時に取り出して、その時の記憶や感慨を呼び起こしてくれる。趣味に損得勘定を持ち込むのは野暮なこと、所詮は尺度では測り知れないもの、と以前書いたことがあるが、それを踏まえても、なかなか良い趣味ではないかと思いたい。
写真は、「真実を写す」と書く。流れゆく時のなかで、今見た光景、今しか撮れないシーンを、後で何時でも見れるような形にして残す、それが昔、いや、ちょっと前からずっと自分の中にある動機だったこと、そんなことを改めて思い出してしまいました。
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上の写真
CANON EOS 10D+SIGMA 100-300mm F4 EX HSM  焦点距離   237mm  シャッター速度優先
F4.5   SS 1/350   ISO 400   評価測光   露出補正 0   AI SERVO AF  JPEG
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昔、いや、ちょっと前 中編 [カメラ]

銀塩から始めたサッカー撮影を、デジタルに移行した初年度の写真は、試合ごとにまとめてあるのだが、今見てみると何といっても枚数が少ない。もちろん、ボツ写真を削除した後だけど、これは今と比べて、歩留まりの悪さと絶対的な撮影枚数の少なさがうかがい知れる。連写秒3コマの10Dだったことも一因だろうが、この頃の撮影が、自チーム撮り100%だったことを考えると、応援する気持ちと良い写真を撮りたい気持ち、このバランスの取り方が下手だったことも原因の一つのように思える。せっかくの良いシーン、良いチャンスを、しっかりものにできない、または、ファインダーを覗きながらでもしっかり応援する気持ちを維持できない、そんなところだろうか。試合時間は今と変わらないのに、一試合で撮る枚数、一試合で使える写真の枚数が、今とは数分の一以下というのは、やっぱり恥ずかしい。
だいたい、1/500ぐらいであればブレは起きない、と思い込んでいた当時の自分の浅はかさ。そして、被写体ブレ・手ブレ・ピントのズレの区別がまだはっきりできていない無知。AF速度・精度に関しては、機材の性能によるところもあるだろうが、ピント合わせも甘い。全体にシャキッとしない画の中で、選定して残したのがこの程度だから、その頃の自分の選定レベルの低さも感じる。動き回る被写体の、今しか撮れない写真を、と必死に撮ることが精一杯だったのだろう。今では殆ど縦で撮るのに、この頃の写真のほとんどが横であることも、とにかく撮ることを最重要に考えていた、今から見ると余裕の無さの証なのかもしれない。
もちろん、使っている機材も今とは随分違う。デジタル一眼レフカメラが、やっと我々庶民の手の届くところにやって来た10Dは、スポーツ撮影においては銀塩と比べて飛躍的なメリットをもたらしてくれたのだが、やっぱり現状の機種と比べてしまうと、発展途上の機種であったことは間違いない。使っているレンズも、より良いものを、という気持ちは今と変わらないにしても、どこまでが腕のせいなのか、機材の性能限界なのか、情報も経験も少なかった状態では、また最上級を手にとって五感で体感したことが無い状態では、なかなか思い切った投資をする勇気もなかったのだろう。そうだったのに、今ではここまで来てしまった。
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上の写真
CANON EOS 10D+SIGMA 100-300mm F4 EX HSM  焦点距離   300mm  絞り優先
F5.6   SS 1/1500   ISO 200   評価測光   露出補正 0   AI SERVO AF  JPEG
昔、ちょっと前1-2.jpg

上の写真
CANON EOS 10D+SIGMA 100-300mm F4 EX HSM  焦点距離   100mm  シャッター速度優先
F4.0   SS 1/500   ISO 400   評価測光   露出補正 0   AI SERVO AF  JPEG
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昔、いや、ちょっと前 前編 [カメラ]

夏休みもまもなく折り返し地点。夏休みといえばまずは宿題。私が小学生の頃、数ある宿題の中には必ず、読書感想文や作文などの文章を書くものが含まれていた。文を書くこと自体は嫌いではなく、むしろ好みの分野だったのだが、書き終わった後に読み返すというのがどうも苦手。というか、自分の書いた文章が、何となく恥ずかしい。それでも年代を重ねるごとに、自分の書いた文章が他人の目に触れる機会も多くなり、間違ったことや誤解を招くような表現は避けなくてはいけないと思うと、いやがおうにも書き終わった後に読み返さなくてはならなくなった。今ではペンをキーボードに換えて、こうしてブログを通じて、毎日のように文章を書いているのだが、間違えないように、恥ずかしくないように、後悔しないように、読み返して確認するという作業は、なんの抵抗も無く、文章を書くという行為の一連の作業の一つになってしまっている。
さて、話を写真に移してみると、昔撮った写真を今見てみると、やっぱり恥ずかしい。なぜ恥ずかしいのか、それは未熟だと思えるから。そんな写真を撮って悦に入って満足していたんだ、と思うと、当時の自分の未熟さを形にして目の前に差し出されたようで、やっぱり恥ずかしい気持ちになる。ここで言う昔の写真とは私の場合、数年前に撮ったサッカー写真のこと。これがもっと昔の学生時代に撮った写真(もちろん銀塩)だと、写真の撮り方ウンヌンではなく、写っているもの自体に懐かしさを感じたり、あの頃の思い出が呼び起こされたりして、恥ずかしさよりも懐かしさ、だ。なのでここで取り上げるのは「昔の写真」ではなく、「ちょっと前の写真」ということになるかもしれない。数年前が、昔なのか、ちょっと前なのかは、難しいところだが、学生時代においては、数年前といえば昔、と感じるのが普通だろう。が、この歳になるとやっぱり、ちょっと前になってしまうのかもしれない。数年前という、同じ尺度であらわされた数値でも、自分の年齢によって呼び方や感じ方が変わるなんて、何とも人とは便利なようで不思議な感覚の持ち主だ。
さて話が横道にそれてしまったので、元に戻そう。パソコンを修理に出したことは、以前報告したとおり。データの移動やら復旧やらの作業は大方終わったのだが、その途中で昔撮ったサッカー写真も出てきた。昔といっても2003年頃だから、今から6年ほどの、ちょっと前の写真。今しげしげと眺めてみると、こんな写真を他人にあげたり見せたりしていたんだ、と思うと恥ずかしい限り。そう思えるということは、今ではもう少しマシな写真が撮れるようになっているということだろうか。別に学校に行って写真の勉強をしたわけでも、偉い方に師事して教えを請うたわけでもなく、自分勝手に撮り続けた、経験だけ積んだ私だから、技術的に大した進歩が有るわけないのだが、それでもこの「経験だけ」というのでも、まあ自分の中では前に進んだいうことにしておこう。
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上の写真
CANON EOS 10D+EF90-300mm F4.5-5.6 USM  焦点距離   205mm  シャッター速度優先
F9.5   SS 1/750   ISO 400   評価測光   露出補正 0   AI SERVO AF  JPEG
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熱帯魚も、夏は厳しい 後編 [熱帯魚]

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ところで、その水温を管理するための水温計ですが、昔ながらのガラス管の棒状水温計とセンサー部分のみを水槽内に配置するデジタル水温計があります。市販されている熱帯魚用のものは、医療用ほどの厳密な測定はできないとは思いますが、さらに棒状水温計は大きさが小さくなるほど見難く、正確さも低下するように思えますし(あくまで私の私見ですが)、それに比べればデジタル水温計の方が幾分マシの様な気がしています。特に大型魚を飼育している場合は、尾びれの一振りでガラス管の水温計を割ってしまった、ということもありますから、最近は安くなったデジタル水温計をお勧めしたいところです。水槽内でこの水温計が割れると、後始末が大変ですから(私は何度も経験しました)。
熱帯魚飼育に限らないとは思いますが、お金をかけて楽をするか、節約して手間をかけるか、という選択になると、後者を選択される方が多いのではないでしょうか(私もそうですが)。手っ取り早く水温を下げるのは、氷を入れるというのは乱暴として、水換えをするのが一番だと思っています。熱帯魚を飼育している以上、水換えは避けられません。その頻度を上げてやる、水温が上がりきったところで一気に落とすのは良くないので、上がりそうになる前に水換えして水温を落としておいてやる、という方法を繰り返すことで、費用をかけずに夏を乗り切った経験があります。夏の暑い最中の水換えは大変かもしれませんが、適切な水換えは飼育魚にとっても、ろ過にとっても、有益なことは間違いありませんから、ここで頑張ると秋には良いことが有るかもしれません。
というのは、水温が高くなると、新陳代謝が促進されて、餌食いが良くなることはご存じだと思います。よく食べるとよく出すので、ろ過的にはキツイ状態になるのですが、そこで水換えを頻繁にやることで水質を改善し、ろ過の助けをしてやることになります。そうして飼育水の水質を良くすると、飼育魚の状態は良くなり、またまた餌食いが良くなります。これを繰り返していると、秋には大きく成長した飼育魚を見ることができるかもしれません。夏の高水温は、飼育魚にとっても、飼育者にとっても、厄介な問題ではありますが、それを逆手にとって、魚を大きく成長させる時期だ、と思えば、水換えの苦労も少しは和らぐかなあ、と思うのですが・・・
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熱帯魚も、夏は厳しい 中編 [熱帯魚]

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ちょっと行楽に一日出かけるのに、家を閉めて出て戻ってきたら、水温が異常に上がっていた、なんて話はよくあること。急いで温度を下げたいがために、氷を入れたりした経験をお持ちの方もいるのではないでしょうか。魚は変温動物ですから、暑い寒いを感じることはありませんが、汗をかいたり毛穴を閉じたりして体温を適正に調節・維持する機能は持っていません。急激な温度の上下は禁物です。また飼育水の残留酸素は、魚の生死にかかわるもので、これは水温に反比例します。25度と35度ではどのくらい残留酸素の差が有るか数値的なデータは持ち合わせていませんが、高水温で死亡する魚の多くが酸欠が原因ということは、熱帯魚飼育においての水温管理を怠ることは、魚を殺すことと同じと言えるかもしれません。また残留酸素の減少は、ろ過バクテリアにもダメージを与えますから、当然高水温ではろ過能力も落ちることを考慮したほうがよいでしょうね。
水温を上げないようにするには、外気温を上げないことですが、熱源となる光量に注意することも重要だと思います。直射日光が水槽内に入るなんてもってのほか。水槽を照らすライト類は、実はかなりの熱を帯びています。薄いガラス蓋一枚隔てて水槽の上に乗っているのは、蛍光灯の熱で飼育水を温めているのと同じ。夏にはライトを点けない、というのも一考でしょうが、それでは観賞魚としての価値が減少してしまいますので、点灯時間を短くするとか、ライト自体を飼育水から遠ざける(市販のライトスタンドなどで、水面からの距離を取る)と、幾分良くなります。大型水槽の場合、水中蛍光灯などは止めて、メタハラなどに換えるというのも一つの方法ですが、ちょっと費用がかかるかも。
また、ガラス蓋を外して、水面が外気に直接触れるようにする、水面に小型のファンで常に外気を当てるようにする、などの方法も有効だと思います。私もこれらの方法を組み合わせて、やらないよりは飼育水の温度が2~3度下がった経験があります。しかし、飼育水の蒸発が速いことと、蓋が無いため水槽内から魚が飛び出さないように、注意が必要です。特に派手に動き回るような種類の魚などでは、翌朝には水槽の周りの床に干からびた姿が、なんてこともよくありましたから(金魚やネオンテトラでも)。
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熱帯魚も、夏は厳しい 前編 [熱帯魚]

夏は厳しい1.jpg

梅雨明けがいつになるのか、と気をもんでいたら、本日当地方の梅雨明けが宣言され、やっと真夏がやってくるようです。でもこの夏、熱帯魚を飼育している者にとっては厳しい季節ですね。熱帯魚って、冬はかなり加温しないといけないので、電気代もかかって大変そうだけど、夏は一番楽な時期じゃないの、と熱帯魚未経験の人によく言われるのですが、実は真夏こそが大変なのです。
いかに熱帯魚とはいえ、水温が35度を超えるとほどんど生きていられません。日本の夏の最高気温が35度を超えることが珍しくなくなった今では、魚にとって生死のかかる季節でもあるのです。気温がそうでも、水温はそんなに上がらないだろう、だって炎天下のプールの水温だって、そんな温度にはならないし、と思われる方もいるかもしれませんが、さにあらず。プールや湖沼などに比べれば圧倒的に水量が少ない水槽内は、僅かな外気温の差や光量の差で水温は激しく上下します。ましてや水槽は、ガラスという光を通しやすいもので周りを覆われ、それにライトで光を当て、密閉された空間なのですから。常に空調が利いた室内に置いてあるなら大丈夫でしょうが、それでも外出したりでエアコンを切ってしまうと、帰ってきた時には、水温35度ということはよくある話。廊下や玄関先など、エアコンの無いところに置いてある水槽は、もっと厳しい環境でしょうね。
だいたいが、水量が多いほど温度は上がりにくく、下がりにくい。ということは、小型の水量の少ない水槽ほど、水温が上がりやすいということ。このような小型水槽で、高水温に弱い小型魚を飼うには、厳しい季節です。また、温度を上げるより下げるほうが、時間もコストもかかるもの。温度を上げるのは、ヒーターで徐々にでも上げられますが、下げるとなると水槽用クーラーを使わないとなかなか下がりません。この水槽用のクーラーが高価。水量に応じた能力のものを使わなければ効果がないのですが、最近は安くなったとはいえ、水槽セットよりも高い。海水魚飼育の方は別として(海水魚は高水温には特に弱いので、日本で海水魚を飼育するには、クーラーは必需品)、淡水熱帯魚飼育にはまだ敷居が高いのも事実です(電気代もかなりかかりますしね)。ましてや、複数の水槽や大型水槽を持っているのなら、それに見合った水槽用クーラーを買うくらいなら、部屋用のエアコンのほうが安いし、水槽を置いてある部屋全体を24時間適温に保ったほうが、コスト的には楽なくらいです。こうした真夏のコストもバカにはならないし、節約のためにも、水槽設置場所の工夫が必要ですね。
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