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老人だからなあ [巷の雑感]

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先日、近所のスーパーへ買い物に行った。たくさん買い込むのでなければ、こうした用途には自転車で行くのが一番。雨さえ降っていなければ、手軽に行けて、健康にも良いし、何といってもエコ。そう考えるい人が多いのか、最近の大型店はどこも、自転車を置く駐輪スペースを広く設けてある。
買い物が終わって店を出て、その駐輪スペースに向かって歩いていると、80歳近いと思われる男性が、自転車に乗ってやってきた。そして、その自分の乗ってきた自転車を停めようとするのだが、すでに結構な数の自転車が並んでいる。その列に無造作に、いや無理やりに、自分の自転車を突っ込んだものだから、当然並んで停めてあった自転車十数台が大きな音とともに倒れた。間違ったり、上手くできなかった、という過失ではなく、自分の自転車が一番良いところに停めれれば、他の自転車はどうでもよい、という確信犯に似た意思がその行動から感じられる、明らかに作為的な行為だった。その倒れた自転車の中に私のものも含まれていたので、一瞬ムッとしたが、「老人だからなあ」という気持ちが湧き起こり、何も言わず黙って自分の自転車を引き起こした。その80歳近いと思われる男性は、私の姿を見て気まずく思ったのか、いきなり鼻歌を歌いだし、自分は何も関係ないよ、とでも言いたげな表情で、ひょうひょうと店に入って行った。
さて、自転車に乗っての帰り道。交差点で信号が変わるのを待っていると、向こうからスクーターに乗った、これも80歳近いと思われる男性が走ってくる。しかし、その道は一方通行。スクーターといえども車両だから、やっぱりマズイんじゃないかなあ、と思って見ていると、私の目の前で堂々と信号無視。そして何と、歩道に入って走り続ける。ちょうどその歩道に小学生の一団が前方に歩いていたものだから、スムーズに走れないと見るや、今度は車道に出て走り続ける。オイオイ、それじゃあ逆走じゃないか。要するに、自転車に乗っている感覚なのだ。特にスピードを出しているわけではないのだが、やっぱり交通法規は守らないと、と思ったのだが、背筋をピンと立てて颯爽と走り去る後ろ姿をみて、「老人だからなあ」という気持ちが湧き起こり、何も言えない私がいた。
老齢者の多くが、こういった行為をする、とは思わないし、実際そうではないと思う。ごくごく一部の稀な例なのだろうが、この私の心の中に湧き起こった「老人だからなあ」という気持ちは、はて正しいのだろうか。犯罪の低年齢化とともに、少年法が改正され、重大事件には大人と同じような扱いを受けるという。「子供だから許してあげて」という言い訳は、利かなくなってきている。反して、老齢者はどうだろう。「老人だからしかたない」という気持ちを持つこと、間違ったことをしても見過ごすことは、さてどうだろう。
子供には、しつけや教育という名の育て方が、親や社会に義務とされている。法を守ること、社会の一員としてのモラルを守ること、だ。しかし、その法を決めたり改正したり、社会を形作る政治に対する参政権は、子供には与えられていない。対して、老齢者は大人だ。そういった法やモラルは当然心得ているものとして見られるし、見なくてはいけない。何より、その守らなければいけないものに対して意見を言える参政権が、子供にはなくても老齢者にはある。「子供だから」と「老人だから」は同じではない。
社会的弱者という意味では、子供と老齢者は共通する部分を持っているかもしれない。しかし、やっぱり老齢者は大人なのである。
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