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除草 [巷の雑感]

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山地の多い日本では、川はどこにでも見られる。大都会に流れる川ではなく地方に流れる川には、コンクリートなどでで固められていない堤防がよく見られる。そしてまた、そうした土がむき出しの地面には、様々な草が生い茂ることが、日本では当たり前のように見られる。
一年で今頃は、そうした雑草の生育期がピークを過ぎた時期でもあり、先日通った堤防道路でも除草作業が行われていた。この時期に除草しておくと、来年まではその必要性がないから、ということなのだろう。こうした公共の場所での除草作業は、県や市などの自冶体が費用を出して行うのであろうが、街中にある未使用の雑草が生え放題の土地に関しても、その所有者に対して除草するよう自冶体から通達が来る。山林や原野に対しては、そんな依頼は来ないだろうから、要するに人が接するような場所では雑草は排除してください、ということなのだろう。
この日本では、むき出しの地面が有れば雑草が生えること自体は自然なことだ。その雑草を排除する、生えなくする、ということが、自然を破壊するとは言いすぎだろうが、自然を保護するという観点からはちょっと反する行為かも、と考えるのは、やっぱり偏屈だろうか。綺麗な花を咲かせる草花や木々だけが自然ではあるまい。その足元で、人間には嫌われる雑草も、同じ植物には違いないし、自然の緑に違いない。一方は大切にして、一方は目障りになるとすぐに排除される。人が見て綺麗なもの、人が植えて育てたものは大切にし、勝手に(自然に)生えてきた、見栄えの悪い雑草は嫌われ、刈られ、生えないようにされる。この世界の主である人間様の言う「自然を大切にしましょう」というお題目は、ずいぶん「上から目線」のような気もする。
都市の景観や整備にあたっては、植物の緑を盛り込むことが必須になっている。一般住宅やビルなどの建物を設計する際、植樹したり花壇を作ったりして緑を意識的に加えることを、申請許可の権限を持つ官庁から指導される、という話を、既知の建築設計士から聞いたことがある。そうして意識的に植物の緑を増やすことで、見た目の街の景観を良くすること、人の造作物の集合の中に自然の緑を取り込み触れ合うこと、それを目的としているのだろう。それはそれで、すこぶる好ましいことだと、私も思う。ただ、よくよく考えてみると、私たちが日常大切にしようとしているのは、よく整備された自然、手間暇と費用をかけられた緑、人の日常生活に邪魔にならない植物、人が見て綺麗だと思える草木、であって、勝手に生えてくる雑草などは、その対象になっていなかったりする。
自然とは辞書によると、「山や川、草、木など、人間と人間の手の加わったものを除いた、この世のあらゆるもの」だそうだ。人の手が加わった、人が作った植木や花壇の植物は自然ではないことになる。むき出しの地面に勝手に生えてきた雑草こそが、実は自然だったりする。子供たちに学校では、「自然を大切にしましょう」と教えるが、私はこの言葉を簡単に発するのに、ちょっと躊躇してしまったりしている。
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