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最後の試合 [巷の雑感]

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学校で部活動(特にスポーツ系の部)を行っていた人には、引退というのは必ずやってくるものだ、と分かっていただけると思う。別にそこで、その競技を続けるのを止めてしまうわけではなくても、学校のクラブ活動というのは永遠に続けられるものではなく、在校生でいられる間、という制限があるのだから、そういった意味での引退は必須だ。その引退時期というのは、実はさまざまで、受験勉強に専念するために、最終学年になる前に既に引退してしまう子もいるだろうし、卒業まで続ける子もいる。競技の種類によっても違うだろうし、その子の熱中度やその後の進路によっても違うだろうし、部活動を取り巻く環境や仲間、親の考えなどにも左右されるかもしれない。ただ、その年の公式戦が終わってしまうと、どうしてもモチベーションが保てなくなり、(練習は続けたとしても)自然とその時点での引退を決める子が多いようだ。
私がいつも被写体にしているサッカーだが、中学年代(15歳以下)と高校年代(18歳以下)には「高円宮杯」という全国大会がある。現在増えつつあるクラブチームと学校のサッカー部の区別なく参加でき、各地区、県から勝ち上がって全国を目指す大きな大会。そしてこれが終わってしまうと、つまりは敗退してしまうと、次の公式戦が新人戦となり、チームはそれに向けた新しいチーム造りに向けて動き出し、自然と最終学年の選手たちは主役の場を去らなければならない。ただ高校年代には、この高円宮杯(今年は横浜Fマリノスユースの優勝)の後に、「高校サッカー選手権」という、年末から年始にかけて行われる全国大会があって、クラブチームを除く高校サッカー部にとっては、それが最終公式戦となる。この大会の地区予選が現在各県で繰り広げられていることと思うが、時期が時期だけに、既に3年生が全て引退してしまって、1・2年生のチームで臨んだり、最終学年としては、負けたら引退、ということで、意気込んでいる3年生主体のチームもある。それゆえ、時折大差の試合があったり、意地と意地がぶつかる好ゲームがあったりして、見る方としては大変面白かったりする。
さてそこで、ウチの愚息1号(高校3年生)である。大学受験を控えているというのに、今日もサッカー部の練習に行っている。ほとんどの進学組が夏のインターハイ予選敗退で引退したというのに、最後の公式戦まで続けて、そこでスパイクを脱ぐ、と言うのである。大学ではサッカーを続けず、別の道を行きたい、と言うのである。まあそれも一つの決断であるし、本人が熟慮の末に出した結論なら、反対する故もない。元より私は、自分の子は自由に羽ばたかせてやりたい、と常日頃思ってきたことだし、自分で自分の将来を考えられるような歳になったことは、喜ばしいことではある。
振り返ってみれば、ウチの愚息1号がサッカーを始めたのは幼稚園の時。友達と一緒に何か体を動かすスポーツをするのは、教育的にも良いことだ、と始めさせたはいいが、入団したのがクラブチーム故に、送り迎えに付き合わされることに面倒を感じることも多々あった。試合だ、大会だ、と送迎に付き合わされて見ているうちに、「何でお前はゴールキーパーばかりやっているの?」と聞いたことがある。そんな頃から息子は、ずっとGKだった。小学生も学年が上がるにつれ試合が多くなっていく。一歩引いて、冷静に我が子の成長を見てきたつもりが、試合の勝ち負けの渦中にいる息子を見ていると、どうしても応援・熱中する親心が、いつの間にか沸々と湧きあがってくるのを感じたのは、小学校も高学年になった頃だろうか。そして、息子をはじめ、チームメイトたちが真摯にボールに向かう表情、家では決して見せることのない喜怒哀楽、泥だらけになっても、相手選手に倒されても、ボールに向かっていくはつらつとした動き、そんな光景を見ていて、「これを形にしていつまでも残したい」という思いも、同時に湧きあがってきた。
息子がサッカーを始めて14年目、私がサッカーを撮り始めて7年目の今年、ひょっとすると大きな節目になるかもしれない。真夏の炎天下で滝のように流れる汗をぬぐいながら、みぞれ混じりの寒いグランドで指先に息を吹きかけながら、「背番号1」を付ける息子の姿をファインダーで追ってきた。夜が明けきらぬ前に機材を車に詰め込むこともあったし、数百キロを走った後すぐ仕事といったこともあった。好きだからこそできた事だろうが、息子がサッカーをしていなければ、できなかった事でもある。今こうして偉そうなことを書けるのも、多くの方々に見ていただけるブログを続けられるのも、県のサッカー協会のお手伝いができるのも、フォトコンテストで入賞できたのも、みんな息子がサッカーをやっていたお陰。そして、時に厳しい言葉をかけたり、笑いながら冗談を言い合ったり、サッカーという共通のテーマがあったればこそ、今日まで途切れることなく、息子と話をする話題には事欠くことなど無かった。そんなことを振り返ってみると、息子のサッカーから私が得られたものは、とてつもなく大きいような気がする。著名な選手でもプロを目指す実力も無い愚息だが、ずっと続けてきてくれた恩恵は、本人のみならず、私のみならず、我が家全体にも与えてくれた。そしてそれが、まもなく終わろうとしている。
この高校サッカー選手権の県予選の会場には、一次予選がトーナメント(負けたら即終わり)だったせいだろうか、いつもより多くの保護者の方々の姿を見かけた。そしてその眼には、息子の最後の勇姿をしっかり見ておきたい、という親心が、いつもより強く感じられた。もちろん私も、何をおいても駆けつけ、撮り続けたが、「これが最後の一戦」という気持ちが「息子のユニフォーム姿を撮る最後のチャンス」を意味し、いつも以上にシャッターを押す指に力が入ってしまったことは、今まで無かったこと。一緒に来ていた家内は、試合中ずっと、胸に手を合わせて祈りながら見ていた。幸いにも二次リーグ戦に進出できた息子のチームは、まだ私に撮るチャンスを与えてくれた。しかし、始まりがあれば、終わりもまた必ずある。最後の試合がまもなくやってくる。その時私は、どんな気持ちでいられるだろうか。
今週末、息子は14年間の努力といろんな想いを全て込めて、試合に臨むだろう。そして私も、7年間の全てを込めて、渾身のシャッターを切るつもりだ。そして、最後の一コマを撮り終えた時、感謝にも似たさまざまな想いがこみ上げ、息子同様に不詳にも、涙が溢れるかもしれない。そんな気がする。
でも、それでも、良いと思っている。

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