今年を振り返って 後編 [日々の徒然]
前回の続き、そして今年最後の書き込みになります。
撮影ということについては、今年は何と言っても、過去最高の撮影枚数(約5万枚、全てRAW)を記録しただけあって、撮影日数・撮影試合数共に多く、ほぼ毎週のようにどこかのサッカー場にいました。これは昨年後半から始めた、県サッカー協会の撮影に加えて、今年が愚息1号・2号ともに最終学年で、試合数が多かったことによると思われます。そしてこれが、私の、我が家の今年を物語る最大のエポックだったと思います。
我が子を撮る、ということからスタートしたサッカー撮影は、今年がピークを迎えたと思います。最終学年は、出場試合数が多く、それもただ多いだけでなく、このチーム・このメンバーで出る最後の大会・試合という意味もあって、その試合に掛ける意気込みも撮影目的も意欲も、グッと大きくなります。それが、愚息二人とも今年だったということは、毎週必ずのようにどちらかの試合や大会があり、また重なることもあるほどで(撮り損ねた試合も多々ありました)、サッカー撮影としては多忙を極めた年であったと思います。霜の降りたグランドから灼熱の炎天下まで、体力不足を嘆きながら駆けずり回った一年でした。
そして、そうした試合や大会の悲喜が、我が家にもたらす影響が過去最大だった年でもありました。試合や大会は、必ず結果が出ます。一生懸命になればなるほど、その結果が本人、そしてサポートする家族に、一喜一憂をもたらし、最終学年であることがそれを倍加させます。このブログでも書きましたように、一発レッドカードで退場になったことも、負ければ引退という緊張感の中で勝ち続けたことも、今ではすっかり良い思い出として語れますが、その最中では本人以上に考えさせられたり、湧きあがる感情の起伏を抑えなければならなかったり、そんなことを繰り返していた一年だったと思います。子供のサッカーに振り回された年、と言えば、マイナスイメージに聞こえるでしょうが、一家一丸というほどではなくても、共に励まし支え合って夢中になり、互いに多くを語り合った一年だったと思えば、後悔どころか、最高に印象的な一年だったと思えます。一家の主としては、実は失格だったのかもしれませんが、もう二度と来ないであろうこんな一年を、現状持てる力で精一杯やった一年として、後年必ずそう振り返ることができるとしたなら、「まあヨシ」としたいです。
もう一つの趣味である熱帯魚に関しては、実に変化の無い一年でした。年末に電気代節約のために、一部の水槽移転をしたぐらいで、魚も水槽も増えることも少なくなること無く、このブログで報告できるようなトラブルも無く、平凡な一年だったと思います。そしてそれは多分、来年も同じではないか、というように思っています。決して飼育に対する愛情が薄れた訳ではないのですが、現状の生活レベルでできる限界に、既に達しているからなのかもしれません。
さて、こうして今年を振り返ってみると、今年はちょっと特殊な一年だったようにも思えます。昨年は、我が家の生活上の大きな変化を迎え、五里霧中の状態で悪戦苦闘した日々が続いた一年でしたが、今年はそんな足元もまだおぼつかない状態のまま、様々な出来事に右往左往していたように思えます。もう少し地に足をつけた状態なら、もっと踏ん張れて、違った結果・感想を得られたのかもしれませんが、まあ世の中そんな思う様にはいかないですよね。
今年の最初の記事に、「何でもないようなこと」について書きました。あれから一年経って、今夜も家族5人全員で食卓を囲むことができます。全く先の不安無く笑えるほど、優雅でも楽観的にもなれませんが、それでもやっぱり、「まあヨシ」の一年だったと思いたいです。
今年もいろんな事を書いてきましたが、こんなブログにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。皆さまの心静かな年越しをお祈りしつつ、今年の最後に記事とさせていただきます。
撮影ということについては、今年は何と言っても、過去最高の撮影枚数(約5万枚、全てRAW)を記録しただけあって、撮影日数・撮影試合数共に多く、ほぼ毎週のようにどこかのサッカー場にいました。これは昨年後半から始めた、県サッカー協会の撮影に加えて、今年が愚息1号・2号ともに最終学年で、試合数が多かったことによると思われます。そしてこれが、私の、我が家の今年を物語る最大のエポックだったと思います。
我が子を撮る、ということからスタートしたサッカー撮影は、今年がピークを迎えたと思います。最終学年は、出場試合数が多く、それもただ多いだけでなく、このチーム・このメンバーで出る最後の大会・試合という意味もあって、その試合に掛ける意気込みも撮影目的も意欲も、グッと大きくなります。それが、愚息二人とも今年だったということは、毎週必ずのようにどちらかの試合や大会があり、また重なることもあるほどで(撮り損ねた試合も多々ありました)、サッカー撮影としては多忙を極めた年であったと思います。霜の降りたグランドから灼熱の炎天下まで、体力不足を嘆きながら駆けずり回った一年でした。
そして、そうした試合や大会の悲喜が、我が家にもたらす影響が過去最大だった年でもありました。試合や大会は、必ず結果が出ます。一生懸命になればなるほど、その結果が本人、そしてサポートする家族に、一喜一憂をもたらし、最終学年であることがそれを倍加させます。このブログでも書きましたように、一発レッドカードで退場になったことも、負ければ引退という緊張感の中で勝ち続けたことも、今ではすっかり良い思い出として語れますが、その最中では本人以上に考えさせられたり、湧きあがる感情の起伏を抑えなければならなかったり、そんなことを繰り返していた一年だったと思います。子供のサッカーに振り回された年、と言えば、マイナスイメージに聞こえるでしょうが、一家一丸というほどではなくても、共に励まし支え合って夢中になり、互いに多くを語り合った一年だったと思えば、後悔どころか、最高に印象的な一年だったと思えます。一家の主としては、実は失格だったのかもしれませんが、もう二度と来ないであろうこんな一年を、現状持てる力で精一杯やった一年として、後年必ずそう振り返ることができるとしたなら、「まあヨシ」としたいです。
もう一つの趣味である熱帯魚に関しては、実に変化の無い一年でした。年末に電気代節約のために、一部の水槽移転をしたぐらいで、魚も水槽も増えることも少なくなること無く、このブログで報告できるようなトラブルも無く、平凡な一年だったと思います。そしてそれは多分、来年も同じではないか、というように思っています。決して飼育に対する愛情が薄れた訳ではないのですが、現状の生活レベルでできる限界に、既に達しているからなのかもしれません。
さて、こうして今年を振り返ってみると、今年はちょっと特殊な一年だったようにも思えます。昨年は、我が家の生活上の大きな変化を迎え、五里霧中の状態で悪戦苦闘した日々が続いた一年でしたが、今年はそんな足元もまだおぼつかない状態のまま、様々な出来事に右往左往していたように思えます。もう少し地に足をつけた状態なら、もっと踏ん張れて、違った結果・感想を得られたのかもしれませんが、まあ世の中そんな思う様にはいかないですよね。
今年の最初の記事に、「何でもないようなこと」について書きました。あれから一年経って、今夜も家族5人全員で食卓を囲むことができます。全く先の不安無く笑えるほど、優雅でも楽観的にもなれませんが、それでもやっぱり、「まあヨシ」の一年だったと思いたいです。
今年もいろんな事を書いてきましたが、こんなブログにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。皆さまの心静かな年越しをお祈りしつつ、今年の最後に記事とさせていただきます。
今年を振り返って 前編 [日々の徒然]
ここ数日、家族で過ごす時間が多いことに気付きます。もちろん、年末の慌ただしさは例年通りなのですが、年末年始といえども冬休みのこの時期も、サッカーの遠征やら大会があって、レンズを担いであちこち飛び廻っていた例年を考えると、今年は早々と年内の撮影が終わって、家で過ごす時間がいつもより長いせいでしょうか。久しぶりの家族5人の生活を楽しんでいます。
2009年も、あと僅かで終わってしまいます。年が変わるというのは、人が決めた区切りを跨ぐということで、そこで急に何かが大きく変わる、一日が25時間になるとか、太陽が西から昇るとか、そんなことがあるはずもなく、いつものように時間が流れていくだけのことです。ただ、こうした節目を造った意味は、そこでひとまず振り返り、これまで積み上げてきたことを確認し、反省すべきことは反省し、次の目標に向けてどう準備するか考える、という意味もあると思うのです。皆さんもきっと、師走の慌ただしいこの時期に身をまかせながら、そんな思いが頭の中を巡っているのではないでしょうか。私もここで、2回に分けて、今年を振り返ってみたいと思います。
まず真っ先に思いつくのは、今年は何だかいろんなものが壊れて、修理に出したなあ、ということ。前回書きましたプリンターもそうですし、パソコン2台体制を目指して今年年頭に購入したBTOパソコンも、HDDのトラブルでメーカー修理。今はセカンドパソコンとして使っているGatewayも、このブログで一部始終を書いたように、OS再インストールを強いられたのに、結局メモリーのトラブルでした。昨年末購入した外付けHDD(3.5インチHDDが4台入れられるもの)も、不調に陥り交換になったし、マウスの反応がおかしくなったり、キーボードの初期不良交換になったこともありました。こうして考えてみると、不良・不調・故障に陥ったのは、みんなパソコン関係のものばかりで、私のPC環境にとっては最悪の一年だったのかもしれません。でもまあ、どれも今現在は快適に動いていてくれるので、手間はかかりましたが、経験値アップ&結果オーライということで、まあヨシとしておきます(ホントはこんなこと、無い方が良いのでしょうが)。
パソコン関係以外では、こうした故障・不調で困るということは、あまり無かったです。カメラ関係は、以前このブログで書きましたように、調整には出しましたが、どちらかと言えば故障・修理というより、確認や調整・メンテの意味合いが強く、撮影不良や撮影画像のトラブルも無く、順調な年だったと思います。7D(とEF-S15-85 IS)を追加購入したことは大きな変化で、これによってサブ機への不満が激減したのは良い変化。既に数千枚を撮影して、実力も使い方も一応分かり、ウチの防湿庫ですっかり馴染んでおります。
メイン機の1D3に関しては、リコール修理を2回ほど経験し、メーカーへ送らねばならなかったことを考えると、変化が無かったというより、手間ばかりかかったマイナスイメージの年だったとも思えます。しかし先日、今年撮ったサッカー写真を整理していて気付いたことがあります。今後使いそうもない写真を削除していたのですが、ある時期を境に、そうした写真が目立って少なくなっていることに気付いたのです。つまり、6月に出したリコール修理以降は、ジャスピン率が確実に上がっていることに、何と今になって気付いた、という次第です。実際に撮っている時はまったく気付かず、このブログでもそんな報告はしなかったのですが、今になって振り返ってみると、1D3は確実に熟成され、本来の性能を発揮して、後述する大切な一年であった今年を、愛機として乗り切ってくれた、ということになります。トータル的に考えれば、やっぱり手間はかかりましたが、納得できる結果が見られた一年だった、と思えます。
2009年も、あと僅かで終わってしまいます。年が変わるというのは、人が決めた区切りを跨ぐということで、そこで急に何かが大きく変わる、一日が25時間になるとか、太陽が西から昇るとか、そんなことがあるはずもなく、いつものように時間が流れていくだけのことです。ただ、こうした節目を造った意味は、そこでひとまず振り返り、これまで積み上げてきたことを確認し、反省すべきことは反省し、次の目標に向けてどう準備するか考える、という意味もあると思うのです。皆さんもきっと、師走の慌ただしいこの時期に身をまかせながら、そんな思いが頭の中を巡っているのではないでしょうか。私もここで、2回に分けて、今年を振り返ってみたいと思います。
まず真っ先に思いつくのは、今年は何だかいろんなものが壊れて、修理に出したなあ、ということ。前回書きましたプリンターもそうですし、パソコン2台体制を目指して今年年頭に購入したBTOパソコンも、HDDのトラブルでメーカー修理。今はセカンドパソコンとして使っているGatewayも、このブログで一部始終を書いたように、OS再インストールを強いられたのに、結局メモリーのトラブルでした。昨年末購入した外付けHDD(3.5インチHDDが4台入れられるもの)も、不調に陥り交換になったし、マウスの反応がおかしくなったり、キーボードの初期不良交換になったこともありました。こうして考えてみると、不良・不調・故障に陥ったのは、みんなパソコン関係のものばかりで、私のPC環境にとっては最悪の一年だったのかもしれません。でもまあ、どれも今現在は快適に動いていてくれるので、手間はかかりましたが、経験値アップ&結果オーライということで、まあヨシとしておきます(ホントはこんなこと、無い方が良いのでしょうが)。
パソコン関係以外では、こうした故障・不調で困るということは、あまり無かったです。カメラ関係は、以前このブログで書きましたように、調整には出しましたが、どちらかと言えば故障・修理というより、確認や調整・メンテの意味合いが強く、撮影不良や撮影画像のトラブルも無く、順調な年だったと思います。7D(とEF-S15-85 IS)を追加購入したことは大きな変化で、これによってサブ機への不満が激減したのは良い変化。既に数千枚を撮影して、実力も使い方も一応分かり、ウチの防湿庫ですっかり馴染んでおります。
メイン機の1D3に関しては、リコール修理を2回ほど経験し、メーカーへ送らねばならなかったことを考えると、変化が無かったというより、手間ばかりかかったマイナスイメージの年だったとも思えます。しかし先日、今年撮ったサッカー写真を整理していて気付いたことがあります。今後使いそうもない写真を削除していたのですが、ある時期を境に、そうした写真が目立って少なくなっていることに気付いたのです。つまり、6月に出したリコール修理以降は、ジャスピン率が確実に上がっていることに、何と今になって気付いた、という次第です。実際に撮っている時はまったく気付かず、このブログでもそんな報告はしなかったのですが、今になって振り返ってみると、1D3は確実に熟成され、本来の性能を発揮して、後述する大切な一年であった今年を、愛機として乗り切ってくれた、ということになります。トータル的に考えれば、やっぱり手間はかかりましたが、納得できる結果が見られた一年だった、と思えます。
お宮横丁 [日々の徒然]
この師走の慌ただしい中、愚息の東京での住居探しに行ってきました。その後、家内の実家に一泊させてもらうことに。東京と現住所の中間に、家内の実家があることで、中継地として大変助かっています。今回もお世話になりましたが、帰路にちょっと話題になった場所に寄ってみました。それは、静岡県富士宮市にある「お宮横丁」です。
ここは、富士宮市の名産品を扱う小さな店が軒を連ねるところで、広さ自体はあまりないものの、富士山本宮浅間大社の目の前ということで、多くの観光客が足を運ぶところです。そして、富士宮の名物と言えば、やっぱり「富士宮やきそば」でしょう。
富士宮やきそばは、B級グルメの逸品として、今では贈答品になるほど有名になってしまいましたが、家内の話では、以前は普通に各家庭で食べていたとか。この富士宮やきそばの特徴は、
・富士宮でしか手に入らない麺を必ず使うこと
・「肉かす」を必ず使う
・仕上げに削り粉を使う
この3点です。麺は蒸し麺ですが、水分が少なく固く、調理の際に少量の水を加える必要があります。この水加減で食べる際の印象が異なるようで、家内の指図無しに私が手を出そうものなら、必ず後でお小言をいただくことになります。肉かすは、豚が原料のようで、「豚かす」とも呼ばれていますが、これを入れると風味ががらりと変わりますので、富士宮焼きそばには欠かせないエッセンスです。最後に削り粉をかけて食べるのですが、この粉はサバやイワシが原料で、地元で採れる桜エビを入れる場合もあるそうです。
いづれの食材も、それほど高価な材料ではなく、地元の富士宮では、普通にスーパーマーケットで安価で売られているものばかりです。当然我が家でも、以前から好物のひとつになっていて、家内の実家からよく送ってもらって食べてきましたし、こうして実家に立ち寄った際には必ず買って帰っていました。歯ごたえのしっかりした食感に慣れてしまうと、他の焼きそばが頼りなく思えるかもしれません。
このお宮横丁でも、多くの方が富士宮焼きそばを賞味されていました。通常のソース味の他に、塩味のものもあって、これもナカナカ。その他に、地元で採れた鱒を使った「マスバーガー」や、採れたて牛乳を使ったアイスクリームなども。横丁の中央には、富士山の湧水を飲むことができる井戸もありました(本当にドンドン水が自然に湧いてきていました)。狭くて小さな場所ですが、分かりやすいところで、富士宮焼きそばを味わうには手軽ですので、もし近くに来た際には寄ってみる価値があるかもしれませんよ。
ここは、富士宮市の名産品を扱う小さな店が軒を連ねるところで、広さ自体はあまりないものの、富士山本宮浅間大社の目の前ということで、多くの観光客が足を運ぶところです。そして、富士宮の名物と言えば、やっぱり「富士宮やきそば」でしょう。
富士宮やきそばは、B級グルメの逸品として、今では贈答品になるほど有名になってしまいましたが、家内の話では、以前は普通に各家庭で食べていたとか。この富士宮やきそばの特徴は、
・富士宮でしか手に入らない麺を必ず使うこと
・「肉かす」を必ず使う
・仕上げに削り粉を使う
この3点です。麺は蒸し麺ですが、水分が少なく固く、調理の際に少量の水を加える必要があります。この水加減で食べる際の印象が異なるようで、家内の指図無しに私が手を出そうものなら、必ず後でお小言をいただくことになります。肉かすは、豚が原料のようで、「豚かす」とも呼ばれていますが、これを入れると風味ががらりと変わりますので、富士宮焼きそばには欠かせないエッセンスです。最後に削り粉をかけて食べるのですが、この粉はサバやイワシが原料で、地元で採れる桜エビを入れる場合もあるそうです。
いづれの食材も、それほど高価な材料ではなく、地元の富士宮では、普通にスーパーマーケットで安価で売られているものばかりです。当然我が家でも、以前から好物のひとつになっていて、家内の実家からよく送ってもらって食べてきましたし、こうして実家に立ち寄った際には必ず買って帰っていました。歯ごたえのしっかりした食感に慣れてしまうと、他の焼きそばが頼りなく思えるかもしれません。
このお宮横丁でも、多くの方が富士宮焼きそばを賞味されていました。通常のソース味の他に、塩味のものもあって、これもナカナカ。その他に、地元で採れた鱒を使った「マスバーガー」や、採れたて牛乳を使ったアイスクリームなども。横丁の中央には、富士山の湧水を飲むことができる井戸もありました(本当にドンドン水が自然に湧いてきていました)。狭くて小さな場所ですが、分かりやすいところで、富士宮焼きそばを味わうには手軽ですので、もし近くに来た際には寄ってみる価値があるかもしれませんよ。
クリスマス・プレゼント [カメラ]
今年も行ってきました、2009年全日本スポーツフォトコンテストの表彰式です。
スポーツフォトのコンテストは数が少ないのですが、これは今年で31回目になるそうです。私は数年前から応募していますが、今回で4年連続出席です。以前は年始に行われていましたが、昨年からこの年末の慌ただしいこの時期に行われるようになりました。師走の平日の昼間ということで、この表彰式に来ているのは、年配の方が多いですね。
昨年の記事でも書いたのですが、この表彰式はホントに表彰式だけで、受賞作品が展示されている訳ではないので、どの方がどのような作品を撮られたか、さっぱり分かりません。今年は更に、上位受賞作品の講評も無かったので、賞状と賞品の授与のみの式で、僅か20分ほどで終わってしまいました。あっさりしているというか、何というか・・・
この会場で、名古屋在住のスポーツ系カメラマンの「ノリックさん」と「こぶ平さん」(お二人とも、このブログにちょくちょく顔を出してくれる、凄腕の方です)とお会いできるのですが、昨年はノリックさんが欠席、今年はこぶ平さんが欠席でした。ノリックさんにお聞きしたら、今年で5年連続とか。こぶ平さんも多分同じくらいでしょうから、私たち3人はこのところずっと、ここで顔を合わせる権利を得ているという訳です。こう続いてしまうと、いつか途切れてしまうのではないか、という不安が持ち上がってきます。今回もそれほど自信のあった作品を送っている訳ではなかったので、今年はお二人に会えないかも、と半ば諦め半分でした。入選の知らせが来た時は、嬉しいより、ホッとしましたね。そのことを、授賞式の後にノリックさんに言ったら、「私も同じですよ」と言ってました。過去最高の撮影枚数を記録した今年は、何だか忙しくて、来年はもっとじっくり撮りたいなあ、と言ったら、「ジュニアユースさん、以前も同じようなことを言ってましたよ」とノリックさんに笑いながら言われてしまいました。まったく、進歩の無い私です。
このブログを見に来ていただいている方々にも、その分野で凄い写真を撮られている方も多く、私などより腕も知識も経験も豊富にお持ちの方がいらっしゃると思います。私も、フォトコンに受賞するのが最終目的ではないですが、応募すること・受賞することは、何かと撮影意欲を書きたてたり、励みになったりするので、できる範囲でこれまで続けてきました。ですが、来年は撮影機会が激減することが予想されますので、ちょっと一年間お休みしてもいいかな、とも考えています。中途半端なもので応募しても、落胆するのがオチですから。
と、来年の不作の言い訳を今のうちにしておきます(笑)。
と、いうわけで、これが私のクリスマスプレゼント、かな。
PX-G5000 後編 [パソコン]
少し間が空いてしまいましたが、プリンターの話の続きです。
さて、いざ修理に出すとしても、年賀状作成が迫っているので、できる限り早急に済ましたいところ。販売店に持っていっても、どうせメーカーに転送されるのは分かっていたので、メーカーに直接送るのが一番だろう、と判断。エプソンのホームページを開いてみると、「引取修理サービス無償キャンペーン実施中」という文字を発見。往復の送料&梱包材料費が無料で、引き取りに来た宅配業者が梱包・送付を無償で行う、というもの。こりゃあ、コレが一番、と早速電話で申し込みました。
電話に出た担当者に症状を話すと、見てみないと分からないが、修理対応が必要、とのこと。修理代は、たとえ部品交換が何点か必要な場合でも、15750円以上にはならない、修理代は受取時に宅配業者に支払えば良い、修理期間は年末の時期なので7~10日ほどかかる、とのことを確認して、「できる限り早く」という一言を付け加えて申し込みました。翌日、既に送付先が書かれた伝票(送付先は長野県松本市のエプソン修理センター)を持って業者の方がやって来て、「営業所できっちり梱包しますから」と言って、我がプリンターを手渡しました。
金曜日に宅配業者に手渡して、間に土日を挟んだことだし、次の週末までに戻ってくればいいほうか、と思っていたら、意外と早く水曜日に、巨大な箱に入れられて戻ってきました。同封された修理報告書には、内部の汚れが発見されたと記載されていました。部品交換が必要なほどの故障ではなかった、ということでしょうか。処置として、内部清掃・注油・各部調整・機能検査・廃インクパッド交換、とのこと。早速、年賀状印刷を開始しましたが、以前と比べると作動音が小さくなり、何とも軽やかに作動する感じになったような。印刷結果はもちろん、まったく問題無し。これでしばらく安心して使っていけそうな感じです。
確かに、この程度のことで15750円は、ちょっと高い気もするのですが、プリンターと言えども、ずっと使っていくには、やっぱり一度はメンテが必要だろうし、まあ今回は年賀状作成にも間に合ったことだし、これでヨシということで、納得しておくことにしました。さて、急いで年賀状を作らねば!
さて、いざ修理に出すとしても、年賀状作成が迫っているので、できる限り早急に済ましたいところ。販売店に持っていっても、どうせメーカーに転送されるのは分かっていたので、メーカーに直接送るのが一番だろう、と判断。エプソンのホームページを開いてみると、「引取修理サービス無償キャンペーン実施中」という文字を発見。往復の送料&梱包材料費が無料で、引き取りに来た宅配業者が梱包・送付を無償で行う、というもの。こりゃあ、コレが一番、と早速電話で申し込みました。
電話に出た担当者に症状を話すと、見てみないと分からないが、修理対応が必要、とのこと。修理代は、たとえ部品交換が何点か必要な場合でも、15750円以上にはならない、修理代は受取時に宅配業者に支払えば良い、修理期間は年末の時期なので7~10日ほどかかる、とのことを確認して、「できる限り早く」という一言を付け加えて申し込みました。翌日、既に送付先が書かれた伝票(送付先は長野県松本市のエプソン修理センター)を持って業者の方がやって来て、「営業所できっちり梱包しますから」と言って、我がプリンターを手渡しました。
金曜日に宅配業者に手渡して、間に土日を挟んだことだし、次の週末までに戻ってくればいいほうか、と思っていたら、意外と早く水曜日に、巨大な箱に入れられて戻ってきました。同封された修理報告書には、内部の汚れが発見されたと記載されていました。部品交換が必要なほどの故障ではなかった、ということでしょうか。処置として、内部清掃・注油・各部調整・機能検査・廃インクパッド交換、とのこと。早速、年賀状印刷を開始しましたが、以前と比べると作動音が小さくなり、何とも軽やかに作動する感じになったような。印刷結果はもちろん、まったく問題無し。これでしばらく安心して使っていけそうな感じです。
確かに、この程度のことで15750円は、ちょっと高い気もするのですが、プリンターと言えども、ずっと使っていくには、やっぱり一度はメンテが必要だろうし、まあ今回は年賀状作成にも間に合ったことだし、これでヨシということで、納得しておくことにしました。さて、急いで年賀状を作らねば!
ありがとうございました [その他]
プリンターの話の途中ですが・・・
先ほど、アクセスカウンターが80万を超えました。
こんな私のつたないブログが、実に多くの方々に見ていただき、感謝すると同時に、ここにお礼申し上げます。
ありがとうございました。
2007年1月25日に始めて以来、
2007年10月22日(272日目、161記事) 100,000 access
2008年 4月11日(443日目、240記事) 200,000 access
2008年 8月16日(570日目、289記事) 300,000 access
2008年12月16日(692日目、338記事) 400,000 access
2009年 4月 4日(801日目、383記事) 500,000 access
2009年 7月 7日(895日目、419記事) 600,000 access
2009年10月11日(991日目、454記事) 700,000 access
そして本日、2009年12月20日(1061日目、482記事)で、80万アスセスを超えました。
こんなに永く続けられるとは、自分でもビックリです。しかしそれは、このブログを通じて多くの方々の意見を聞き、自分からも発信できたという、交流があってのことだと、振り返ってしみじみ思います。
今年は何だか、重い記事を書くことも多かったような気がしていますが、個人のブログとして、これからも力まず、型にはまることなく、気ままに続けていこうと思っています。
どうか皆さん、よろしければまた、これからもお付き合いください。
(いつものように、10万アクセスごとのスキン変更もいたしました)
先ほど、アクセスカウンターが80万を超えました。
こんな私のつたないブログが、実に多くの方々に見ていただき、感謝すると同時に、ここにお礼申し上げます。
ありがとうございました。
2007年1月25日に始めて以来、
2007年10月22日(272日目、161記事) 100,000 access
2008年 4月11日(443日目、240記事) 200,000 access
2008年 8月16日(570日目、289記事) 300,000 access
2008年12月16日(692日目、338記事) 400,000 access
2009年 4月 4日(801日目、383記事) 500,000 access
2009年 7月 7日(895日目、419記事) 600,000 access
2009年10月11日(991日目、454記事) 700,000 access
そして本日、2009年12月20日(1061日目、482記事)で、80万アスセスを超えました。
こんなに永く続けられるとは、自分でもビックリです。しかしそれは、このブログを通じて多くの方々の意見を聞き、自分からも発信できたという、交流があってのことだと、振り返ってしみじみ思います。
今年は何だか、重い記事を書くことも多かったような気がしていますが、個人のブログとして、これからも力まず、型にはまることなく、気ままに続けていこうと思っています。
どうか皆さん、よろしければまた、これからもお付き合いください。
(いつものように、10万アクセスごとのスキン変更もいたしました)