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モラルの問題 [巷の雑感]

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先月のこと。用あって、息子の通う小学校に行くことになった。車で行くのははばかられるので、自転車で向かう。校門から入ろうとすると、その脇には上の写真のような張り紙というか注意書きの掲示がしてあった。それだけなら何気なく通り過ぎるのだが、辺りを見回すと、学校周辺の至る所に、同様の掲示をたくさん見かける。学校の周囲だけではない。学校からの帰路に意識して見てみると、通学路にもかなりの枚数を見つけることができた。私は犬を飼っているわけではないので、この辺りを歩くことが少なく、今まで気付かなかっただけだろうか。
小学生の登下校。私も経験あるのだが、整然と歩いていくことはまず無く、友人同士で雑談しながら歩いていくことが殆どではないだろうか。まして小学生だ。時にふざけ合いながら歩くこともあるかもしれない。そんな時に、ある子が道端にあった犬の糞を踏んづけてしまった。それ以降、その子は「汚い」「臭い」と学校で言われ、いわゆるイジメにあってしまったらしい。学校側も、その子のケアをすると同時に、このような子を増やさないよう、原因となった犬の糞を、通学路から無くそうと、こうした掲示を始めた。実際に糞が見つかった場所に掲示していったら、現在のような枚数になってしまった、という。
今年ももうすぐ終わろうとしているが、政権交代と不況に喘いだ年だった、とテレビなどでは言っている。それでもペット業界は、なかなかの売り上げを見せたというから、やはりブームなのだろうか。早朝や夕方には、犬を連れた人(その多くが中年以上の男女)をよく見かける。そしてその誰もが、犬の糞を処理する袋などを片手に持っている。私はこれまで、犬を連れて歩く人で、それを持っていない人を見たことが無い。そして実際に、糞の処置をしている姿を見たこともある。それなのに、この現状はどうだろう。要するに、犬の散歩に行く時は、処置する道具を持参しないと人目が気になる。けど、誰も見ていないと分かると、そんな面倒なことはしたくない。そんな人が我が街には、ずいぶんと居るということなのかもしれない。
先日、ガーデニングを趣味としている主婦の方が、「ウチの花壇に犬の糞をさせていく人がいるのよ。植木鉢の中までもよ」と嘆いているのを聞いたことがある。近所の理容店の奥さんは、「私は毎日早起きするのだけど、毎朝店の前の道に犬の糞があって、毎日私が処理しているのよ」と怒っていた。もちろん、犬を飼っている人が皆、そんな不心得者であるはずもなく、ごく一部の人の仕業に違いない。ただ、こうした現状を見て、皆さんはどう思うだろう。「それは、飼育者のモラルの問題だ」と思うのではないだろうか。
モラルとは、道徳・倫理・良識のことをでしょう。そしてそれは、法的な拘束力を持たず、人間の良心や良識に根ざしていると思われる。あらゆることを法律で決め、それを破れば罰則を加えられるという世の中は、常に自分が何か法に触れるようなことをしていないか、意識していなければならず、息苦しくて好ましいとは決して思えない。対して人は皆、善良な心を持ち、互いに助け合い尊重し合って成り立っている世の中では、共通する倫理感から、言葉や文章で表さなくても、罰則で規制しなくても、秩序を保っていける面も存在する。それらのバランスをどうとっていくかが、人々が平和に快適に過ごしていけるか、ということになるだろうし、長い年月をかけて今でもそれを模索していると思う。
しかしここで私は、そんな道徳論を展開する意思も知識も無い。ただ、人が「それはモラルの問題だ」と言うような場面に出くわした時、その言葉は実は、「それは法律で決められていないことだから仕方ない」という意味合いが、多分に含まれていないだろうか。「人の良心に委ねられるべきことで、それを守らせる強制力が無い」というような、あきらめに似た意味合いが感じられる私は、ちょっと変なのだろうか。
犬の糞の件を例に出したが、タバコのポイ捨てやゴミの分別の問題でも、モラルの欠如が叫ばれることが多い。そしてそれは、最近になって急に言われ始めたことでもなく、性別・年代・地域の区別なく、様々な形で見受けられる。欧米では、勉学を学ぶ以前の幼い時に、こうしたことをしっかり植えつける教育をする、と聞く。日本ではやっぱり、まず小学校でこうした共通する道徳観を教えてほしいものだ、と思う。だが、我が子の通う小学校の周りに張り巡らされたこの掲示は、何とも皮肉で、それが難しいということを表しているように思えてならない。

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