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川の流れに [巷の雑感]

新年おめでとうございます。今年もこのブログをご覧の皆さまに、幸多き年となることを、心からお祈り申し上げます。
さて、昨年の最初の記事では、「何でもないようなこと、当り前のことが当り前のように流れていくことの幸せ」について書きました。2010年の最初のこの記事で、私は今年を「高くを夢見ない、多くを望まない一年」にしたいと考えています。
新年は、これから広がる未来に向かって希望を持ち、夢を語る時期なのに、何と逆行したことか、と思われる方が多いと思います。初詣に行って手を合わせ、今年こそは、今年も、と幸運を願ったこと、私も毎年繰り返してきました。そしてそれが、多大な努力の結果で得られることを、自分の意志とは関係なく得られたり得られなかったすることを、どんなに力を尽くしても得られないこともあるということを、繰り返してきました。
時の経過や人生を、川の流れにたとえることもあります。流れに逆らってでも踏ん張らねばならないことも、岩にしがみついて一時の濁流に耐えねばならないことも、自らの意図する処へ留まるためには常に漕ぎ続けなくてはならないことも、自分の人生の折り返し地点を過ぎてしまった私には、何となく分かるような気がしてきました。しかしそれでも川は、低き所から高みに向かって流れることはありません。
どんな願いも希望も、努力すれば必ず叶う、と言いきれない私が、今ここにいます。例えば、自らの夢に向かって懸命に努力した結果、それが得られたとします。それでもふと振り返れば、その努力をすることで失ったもの、得られるはずが得られなかったものは、はたして無かったでしょうか。夢のために猛進してきた自分では納得できても、周りの人々に犠牲や協力を強いたことは無かったでしょうか。逆に、懸命に努力しても、それがかなわなかった時、振り返って見て、どうでしょうか。
自らの夢に向かって努力することを否定しているのではありません。何もしなければ何も進まない。いや進まないどころか、いつの間にか流されて、あらぬ淀みの中にはまっているかもしれません。しかし、私の手は左右に一つづつしかありません。長くもない足は二本しか持っていません。持てる量も、走れる速さも、どんなに望んでも限りがあります。何かを捨てなければ、新たに何かを持てないかもしれない。走る速度を落とさなければ、遠くまで行けないかもしれない。持つな、走るな、と言っている訳ではありません。ただ、夢を追う、目標に挑むということの賛辞ばかりに耳を傾けず、足元をおろそかにする危険性についても目を向ける、そんな一年を生きてみたいと思っています。あまりに現実過ぎる話で、この時期に語るには相応しくないと自認しているのですが、時にそういった時期があっても良いと思い、あえて書かせていただきました。
小学生の子らに、将来の夢は?と聞くと、「日本代表になってワールドカップに出ること」と皆言います。同じ質問を高校生にすると、そんな答えはまったく返ってきません。その高校生の倍以上の年月を生きてきた私は、世間からは大人として見られています。夢を抱き、夢を語るのは、どんな年代であっても、悪いことではなく、素晴らしいことだと思っています。ただ、自らを知り、周りを見て、背負った責任を感じながら夢見るのが、大人の夢だと思うのです。年頭に当たって今年は、多くを望まず、しっかり見聞きしながら、生きてみようかと思っています。川の流れのように、時にゆったりと、じっくりと。
 
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