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高画素化 [カメラ]

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私が初めてデジタル一眼レフカメラを手にしたのは、キヤノンから10Dが発売されて間もなくの頃だから、今から6年以上前のこと。やっと庶民の手の届く価格で発売された10Dは、しかしまだ銀塩ユーザーの方が多かったことから、歓迎されつつも、まだフィルムには画質面で到底追いついていない、という論評が多かった。フィルム一眼レフに比べれば、まだ数倍という価格ではあったにもかかわらず、それでもランニングコストの安さや、PC環境の拡大でデジタル画像の扱いが簡単に家庭でできる、ということで、その後デジタルカメラが普及していくのは、皆さんのご存じのとおり。だが、その頃の某巨大掲示板での書き込みでよく見かけたのは、「もっと画素数が欲しい」「600万画素の程度では、銀塩とはとても比べられない」「もっと高画素でないと、レンズの良さが発揮できない」「3000万画素程度で、やっとフィルムに肩を並べられるか」というものであった。フルサイズセンサーは理想だが、コストの関係で今後も、ごく一部の高級機にしか実現しないだろう、とも言われていた。
さて、それから年月を経た今、当時の要望が現実に叶いつつある。発売当初の10Dの価格(198000円)に少し追加投資することで、フルサイズセンサーで2000万画素を超えるカメラが手に入るようになった。APS-C機でも、1800万画素のカメラが、600万画素の10Dより遥かに安い価格で買える時代になったのである。で、ユーザーはさぞや喜んでいるかと言えば、どうもそうでもないようだ。「そんな高画素は要らない」「データが重くなりすぎて、扱いづらく、保存にコストがかかる」「パソコンに高い性能が要求されるので、カメラ以外にも予算が必要」「そんな高画素は、レンズにも高性能を要求し、普及型レンズでは恩恵が無い」、などという賛辞ではない声をよく聞く。そして、「もう少し低画素でイイ」と。ユーザーとはまあ、何とも身勝手なものだ、と私はメーカーの人間に代わって思いたくもなる。あの頃、高画素化を叫んでいた人たちは、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。

画質というのは画素数だけで決まらない、というのは、6年前でも今でも、そして6年後でも変わっていないと思う。階調性能や高感度特性は、何も最近になって注目され始めたことではなく、銀塩の頃から画質を決める要素として認識されていた。それらは、高画素化に伴ってドンドン性能低下されてきたのだろうか。それならば、高画素化の弊害、画質を決める一要素に過ぎない画素数に対してのみに性能追求した結果だ、として非難されるだろろ。しかし私は、10Dと7Dを比べてみて、その点で7Dが劣るとは思っていない。
30万画素程度から普及し始めたカメラ付き携帯電話は、今では1000万画素を超える機種もある。センサーサイズやレンズの大きさに制限が厳しいので、それはちょっと行き過ぎか、と個人的には思うのだが、それは携帯電話のカメラ機能は、本格的に写真を撮ろうとするものではないと思うからだ。対してデジタル一眼レフカメラの場合、それを持ち出すということは間違い無く、写真を撮ろうとする意志がある場合に限られる。より良い写真を撮ろう、という意思無ければ、わざわざそんな重いものを持ち出さなくても、携帯電話で充分なのだから。
ユーザーの購入意欲に訴えるにあたって、分かりやすい数字を使うことは、今も昔も変わらない。一昔前の、パソコンのCPUのクロック競争もシカリ。この点で画素数というのは、極めて分かりやすい数値だ。しかし、高画素になるほど高画質、と考える風潮にアンチテーゼを述べるのは、これもまた正論。画質というのは画素数だけで決まらないのだから。でも、画素数が画質を決定する要因の一つであることには変わりないし、たとえ数年後でも、その要因から外れてしまう、ということも無いと思う。

「お客様は神様です」と言った人がいた。生産者からみれば、お金を払って買ってくれる我々ユーザーは、確かにお客様に違いないだろうが、本当に神様みたいに偉いのだろうか。どんなに欲しい機能、リーズナブルな価格、気に入ったデザインを希望したとしても、メーカーが造って製品として販売されない限り、我々は買うことも手にすることも使うこともできない。昔、理科の実験で造った日光写真でサッカーを撮るような、何でも自作品で済まさなければならないレベルでは、今はもうないのだ。かといって、ユーザーがメーカーに対して卑下すべきとも思っていない。メーカーもまた、ユーザーがあってこそ成り立っている法人だからだ。要は、お互い持ちつ持たれつの関係で、どちらが偉い、という訳ではないと思う。
昔は賛否を問わず、ある製品に対して意見を発しても、自分の周りにしかそれは届かなかったが、今ではインターネットの普及で、瞬時に全国へ広がる可能性がある。メーカーに直接届ける窓口も増えた。変わり続ける環境の中で、メーカーは生き残りをかけて、ユーザーに目を向け、その志向に対応しようとしている。我々ユーザーは、コレが得られれば次はアレ、と欲望や要求を多様化させ続けている。それは過去もそうだし、今も、そしてこれからも続くことだと思う。高画素化は、以前我々が望んだから、メーカーがそれを汲み、売れるだろうと製品化してきた結果だ。過去の要望が現在の姿だと思う。画素数はこの程度に留め、その他の要素向上に今後は力を入れて欲しい、という意見には大いに賛成。だが、こんな高画素は望んでいない、という過去の声に掌を返すような意見には、私はどうも馴染めない。

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