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新生活 [巷の雑感]

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一年の区切りは元旦から始まり大晦日で終わるのだが、年度の終わりは今月末。そしてこれを機に、新たな出発をされる方もいるだろう。
冬から春への季節が移り変わるこの時期を、新たな始まりの時期としたことは、実に名案だったと思う。春から夏だと、過酷な暑さに立ち向かうのに身構えてしまいそうだし、夏から秋だと、何だか物悲しいし、秋から冬だと、暮に向かっての慌ただしさに希望が負けそう。厳しい寒さを乗り切って、暖かな春を迎える冬から春へのこの時期は、何だかこの先に夢や希望が持てて、能動的に活動できそうな気分がする。
実は毎年同じようにこの時期を過ごしている大人の我々と違い、学生たちにとっては、卒業・進学・入学という節目を乗り越えることを意味する。過ぎた過去には戻れず、迎える大小の変化に、否応なく対処していかねばならない。それは楽しかった日々や親しかった友や家族との別離を悲しむことになるかもしれないし、変わりゆく未来に向けて夢を羽ばたかせることになるかもしれない。
「門出を祝う」という。門出とは、旅立ちのこと。それは祝うべきこと。出発する者も、見送る者も、祝うべき華々しいことなのだろう。勿論、その先には今まで体験したことのない苦境が待ち構えているかもしれない。旅立ちとは、先の分からぬ処へ向かう勇気を必要とする。尻込みする気持ちが希望を上回ることも、ひょっとすると有るかもしれない。しかし、それでも旅立つこと、旅立てる力を得たこと、それは祝うべきことに違いないのだろう。
デパートやショッピングセンター、ホームセンターやスーパーマーケット、様々な業種で新生活のための、販売促進が行われている。これから訪れる今までとは違った生活に、夢と希望を持って挑めるように、せめてスタート台はきちんと用意してやろう、という親心を当て込んだものかもしれない。親は分かっている。いつまでも一緒に歩けないことを、ここまでしか一緒に来れないことを。だから、「せめて」と思ってしまう。
何も変わらぬことの幸せについて、以前書いた。今年の初めに、変わりゆく世の中で立ち止まることが許されないなら、滔々と流れる川のように、今年は大らかに過ごしたい、と書いた。18年間一緒に過ごした息子が旅立つのなら、せめて私はここに留まり、今までと何ら変わらぬ姿を残しておきたいと思う。旅立つ者が、ふと振り返りたくなった時のために。
 
 
これから、愚息の引っ越しのために東京へ向かいます。ブログへの書き込みは、あまり出来ないかもしれませんが、ご容赦ください。
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