年が明けて、新しいスタートをきったというのに、去年の話を持ち出すのは大変気が引けるのだが、今回だけ大目に見てください。
年末には年末らしい番組を、とテレビ局は知恵を絞って企画しているのだろう。その日ウチの家族は、そんな番組を見ていた。私は特に興味も無く、見る気も無かったのだが、昔の歌を紹介していたその番組から流れてきたフレーズに聞き覚えがあった。

何でもないようなことが
幸せだったと思う
何でもない夜のこと
二度とは戻れない夜

ご存じの方も多いと思うが、THE虎舞竜の「ロード」という、今から15年度ほど前に流行った曲だ。第十三章まである長い曲らしいのだが、特にファンでもなかった私は、あまり詳しくは知らない。でも、このサビの部分と悲しげなハーモニカの旋律は、今でも耳に残っている。
途切れることも、停まることも無く流れていく日々を、時に懸命に、時に呆然と、そして時に喜怒哀楽を伴って、私たちは生きている。年の節目の今、自分の歩んできた人生を振り返ってみると、やっぱりそんなことの繰り返しだったと思うし、ここから先もまた、そうだろう。嬉しいこと、楽しいことばかりの日々なら、それが当たり前になって、次第に嬉しくも楽しくも感じなくなるだろう。苦しいこと、辛いことばかりの日々なら、耐えることに慣れてしまって、下を向くことが当たり前に思えるのかもしれない。しかし実際には、そんなことはない。苦しいときがあったからこそ、それが無くなった今を喜べるし、楽しい時期があったからこそ、今の苦しみを耐えて夢を見れる。
一年という区切りを定めたのは人間で、それは過去を振り返り、未来に思いを馳せるためだと、以前書いた。この一年、懸命に全力疾走を続けた人もいるだろう。これ以上無いと思えるほど落ち込んだ人もいるかもしれない。私はと言えば、昨年は実に多くのものを失った年だった。それは意図して手放したものも、仕方なく無くしたものもある。あの頃の、何でもないような日常の日々が続いていたことが、実は幸せなことで、愚かにも二度と繰り返せなくなって、やっと気付いたこともあった。しかし、私の手は所詮二本しか無く小さい。持てる量も限られていることに、この歳になってやっと分かった。何かを失わなければ、新しく何かを得ることはできないのだ、と。
年の区切りを通り越えることを、もう何度も繰り返してきた。これまではいつも慌ただしく、急かされ、感慨も無く通り越してきたこのロードの区切りを、今年はゆっくりと、思いを馳せて通っていけるような気がした。それも少し持つ手が軽くなったせいだろうか。願わくば、次にこの区切りを通る時は、この手に大きな幸せを持っていたいものだが、さてその幸せとは何だろう。きっとそれは、「何でもないようなこと」なのだろう。
良い年になりますように、と年賀状に書き、初詣に行って両手を合わせて願う。そんな年末年始の特別な時間が過ぎて、今日あたりから徐々に日常生活に戻っていく方も多いのではないだろうか。縁あって、このブログにやって来ていただいている方々。皆さんのこの一年が、昨年以上に素晴らしい年になるかどうかは、皆さんにお任せします。私はただ、大して変わらない日々、何でもないような日々、当り前と思うことが当たり前のように流れていく日々が、皆さんに今年も続いて行くことをお祈りして、今年の最初の記事とさせていただきます。