趣味にはお金がかかるものである。投資した金額と得られる喜び、それらを天秤にかけて苦悩するのが私たちだが、所詮個々の考え方・感じ方ひとつである。で、カメラ機材について、あえて言おう!「高い機種を使うべきだ」と。
銀塩一眼の経験があったとはいえ、家族旅行で記念撮影をする程度だった。それが、夢中になる息子たちの姿を残してみたいと思い、銀塩でサッカーを撮り始めた。毎回の現像代に悩まされたが、CANON 10Dでデジタルにしてからは、思うとおりに撮れるようになった。確かに銀塩一眼からみると、デジタル一眼は高価。その時の10Dも20万円位した。しかし、銀塩はどんなに頑張っても36枚に1回はフィルム交換しなければならない、砂埃舞うグランドで。その点デジタルは、メディアさえ用意すればその心配は無い。現像代を気にしていたときは、ついついシャッターを押す指も遠慮がち。連写で押さえておきたいシーンも単写で済ませたり。それがデジタルだと、遠慮なくシャッターを切れる。おかげで、今まで撮れなかったシーンも撮れるようになった。デジタルのおかげである。腕のせいではない。
10Dを手放して、1D2を購入する際も、散々迷った。こんな50万円もする機種に手を出して、不相応じゃないか、使いこなせるだろうか、無駄ではないだろうか、もっと安い機種でも同等の写真が撮れるのではないか、と。でも今ではまったく後悔していない。50万円も投資したのだから、絶対元をとってやる、という意気込みが生まれたのも一つ。それで試行錯誤して得られた知識や経験も一つ。さすがプロ機と言われるだけあって、性格で素早いAF性能・動体追従能力で、今まで撮れなかった、というか、見過ごしていたシーンを切り取れるようになったことも一つ。そしてそれらの結果として、3年で4万枚を越える貴重な写真。これらの写真は、もう2度と撮ることはできない。時間は逆戻りはしてくれない。記憶を記録として、形に残せた、それも満足できる形に。50万円の投資は、安いとは思わないが、後悔はしていない。
日中屋外での撮影だから、F値の暗い普通のズームレンズで充分と思っていた。しかし中古とはいえ、単焦点レンズを使ってみると(最初に買った単焦点はEF400 F5.6L)、その描写力・AF速度・レスポンスに感心してしまった。より良い写真を残したい、という他人のための動機から、動体画質を極めてみたいという個人的な欲望にすりかわり、投資額が増えて、今のレンズ群になってしまった。確かに安くは無い。僅かな描写と撮影の心地よさを得るための投資と考えると、馬鹿げている、と思われる人もいるだろう。しかし所詮、満足や喜びというのは、本人にしか分からないし、金銭で表せるものでもない。そんな物はこの世の中には、実は趣味以外にもいくらでもあるのだ。
熱帯魚に比べると、カメラ関係は中古販売ができる。どんなに高価な熱帯魚だって、手放す際は値段が付けば良い方、ということは、以前書いた。購入したときよりも大きく綺麗になって、価値が上がっているはずでも。熱帯魚器具などはまったく論外である。しかし、カメラ関係は中古市場がしっかり形成されていて、きちんと使い、付属品の類までとっておけば、値が付かないということはない。最近ではオークションも一般化してきて、カメラ店の取り分を排除して売買できる、売り手にも買い手にも有利な方法もある。私は非ISサンニッパⅢ型を2年前に中古で29万円位で購入した。そして先日、28万円で手放した。この2年間に、その描写力に惚れこんで1万枚以上撮ったレンズだったが、差損は1万円、写真1枚当たり1円。1D3の発表と同時に予約した。購入の際は、今の愛機1D2を手放すことになるだろう。必要なのはその差額だが、一体いくらになるか。でも、いくらになっても、この3年間に愛機が私に与えてくれた4万枚以上の写真と満足感は、かなり大きい。全てこのようになる訳ではないが、カメラ・レンズは最初の投資額が大きくても、下取りや中古販売も視野に入れると、必要経費はその差額になる。そしてそれから得られる満足や喜びを天秤にかけて考えてみると、どうだろう。
カメラやレンズは、使ってこそ価値のあるものだと思う。買ってほとんど使わないのであれば、天秤は損の方に傾くだろう。しかし、使うのであれば、思い切って高い機材を揃えて、思い切って使ってみることをお勧めする。努力しないで、楽して、大きな喜びは得られないかもしれないが、今まで見えなかったものが見えるかもしれない。