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ハーフタイム [巷の雑感]

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アマチュアサッカーにはシーズンオフなどあまり見られず、年中どこかでサッカーの大会は開かれている、と以前書いた。特に学生が夏休みのこの時期は、曜日を問わず開催・参加できるので、いろんなところで、いろんな試合が催されている。
しかし、参加しやすいとはいえ、この酷暑の時期にサッカーをやるのは、なかなか大変だ。小学生では15分か20分でハーフタイムになり、一度ベンチに戻る。戻ってきた子供たちは汗みどろ。それはそうだ、炎天下の中、全力で走り回ってきたのだから。ただ走るのではない。相手選手と体をぶつけ合いながらボールを奪い合い、自分に課せられた役目を考えながら走り、どうすればチームが勝利できるか考えながら走り、ストップアンドゴー、急反転を繰り返しながら、全力でボールを蹴ってきた結果の汗みどろだ。
僅かな時間のハーフタイム。ベンチに戻ってきた選手たちは水分補給を取りながら、したたり落ちる汗を拭きながら、監督・コーチからの指示を聞く。上の写真を見てほしい。左側のチームの監督は、まるで重役席に座ったように深々と椅子に腰をおろして動かない。試合中もハーフタイムも、足を組んだまま、のけぞるように座って選手に指示を出す。汗みどろの選手たちは、タオルで流れる汗を拭きながら、立ったまま指示を聞き、そしてまたグランドに戻っていく。右側のチームの監督は、試合中はベンチに座っていた控え選手を立たせ、戻ってきた選手をその椅子に座らせ、自分はその選手たちの向かい側に回って指示を出している。小学生に限らず、これまでいろんな少年サッカーの試合を見てきたが、ハーフタイムの光景は、このように大きく二つに分かれるように思える。
さて、どちらが正しく、どちらが間違っているか、などと論じるのは難しいだろうし、ここで偉そうに述べる資格も、私は持ち合わせてはいない。チーム事情によっても違うだろうし、指導者の指導方針によっても違うだろう、年代によっても違うかもしれないし、ひょっとして季節や地域、大会によっても違うのかもしれない。選手個人個人がさまざまであるように、指導者やチームもさまざまである、ということが、むしろ自然なことなのかもしれない。
ただ、どのチームも、どの監督も、目的は同じはず。選手やチーム全体の技術を高め、強くすること。チームを勝利へ導くこと。サッカーを通じて人間的に育てること、だ。そう考えるならば、主役は選手でなければならない。なぜなら、その目的を達成できるのは、監督やコーチではなく、選手自身だと思うからだ。
方法はさまざまでも、選手が主役のチームが、私は好きだ。
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埼玉遠征 後編 [巷の雑感]

少年サッカーの試合は、どこでもできるのだけれど、普段と違った環境で、今までに対戦したことのないようなチームと試合をすることは、スキル獲得やチーム力アップには欠かせない。前回そう書きました。今回はそれについて、もう少し書いてみようと思います。
この遠征で、2日間6試合を行いましたが、一緒に見ていた保護者の方々と話しているいるうちに、つい次のような言葉が出てしまいました。「こういう試合、こういうプレーを地元でやっていたら、イエローカードが3枚くらい出そうですね」と。小学6年生といえども、なかなか当たりが強い。吹っ飛ばされる選手、負傷交代する選手が続出。ボールを持っている時の腕や肘の使い方も、強引に相手選手を抑え込んで巧み。ボールを奪いに来る時も、体をぶつけるのは当然として、ユニフォームを引っ張ったり、首や腕を取って自由を奪うことは当たり前のようにします。審判が見ていない、見えないようなところで、なかなか巧妙な駆け引きを見せてくれます。我が地域でこういう試合が行われたなら、ファールや口頭注意は多く出されたことが容易に想像できます。
ただ私がここで言いたいのは、こうしたプレーを小学生がやることを非難するのではなく、こうした普段とは違う対戦相手、こうした試合を経験することが、実は遠征の大きな目的であり、収穫なのではないか、ということです。遠方から来た我がチームですから、過去の遺恨などがあるはずもなく、対戦相手のこうしたプレーは、たぶんそのチームでは、その地域の試合では、当り前のように行われているのでしょう。サッカーはお上品なスポーツではありません。技術と肉体をぶつけあってボールを奪い合う、闘争心の必要なスポーツです。そう考えると、そのチームは厳しい環境でサッカーを続けているのかもしれないし、我々の地域はまだまだ「甘い!」といわれる環境なのでしょう。サッカーのルールは全国どこでも同じでも、そういった生まれ育つ環境で、違いが出るのは自然なのかもしれません。
サッカー王国と言われる静岡県には、小学生年代ではあまり遠征に行ったことはないのですが、中学生年代ではよく行きました。選手層も厚く、チーム数も多く、技術的にも高い静岡県、しかし結構激しいプレーをするチームも多かったことを思い出します。ボールを扱う技術だけで勝てるような甘いスポーツではない、ということでしょうか。技術だけでなく、体力や駆け引きという分野、小学生年代に、そうした指導を行うのは賛否両論の意見が有ると思います。ただ、そうしたものは、言葉や頭で憶えるのではなく、普段と違う環境で実際に体験して体で覚えるという、遠征でしか得られないものだと思います。確かに、そうして得たものを、自分のホームに帰ってきた時に、そのまま使うのか、噛み砕いて身とするのか、同様の状態になった時の予備知識とするのか、さまざまだと思いますし、それを小学生に求めるのは難しいかもしれませんが。
遠征といっても、同じ県内の日帰り遠征もあれば、今回のように数百キロの移動を伴う遠征もあります。遠方に行くのは、費用も時間も大変ですが、近距離の遠征では得られない何かがあったと思いたい、そう帰路の渋滞の最中に車を運転しながら考えてみた次第です。ただ、審判のジャッジが試合そのものの価値や意義を左右することもあるので、やっぱりこれは全国共通がいいなあ、とは思いますけど。
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埼玉遠征 前編 [巷の雑感]

随分、更新間隔が空いてしまい、せっかく見に来ていただいた方々、申し訳ありませんでした。いろんなことがありましたが、何とか落ち着きを取り戻したようですので、またいつものように続けていきたいと思っています。よろしければお付き合いください。


少年サッカーの試合は、どこでもできるのだけれど、普段と違った環境で、今までに対戦したことのないようなチームと試合をすることは、スキル獲得やチーム力アップには欠かせない。そして夏休みは、そういったことには最適な時期でもある。
というわけで、我が愚息2号(小学6年生)のチームは、埼玉県三郷市へ遠征に行ってきました。
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早朝5時にバスで出発したチーム一同は、埼玉県の某チームの招きに応じて、440km離れた三郷スカイパークで行われる招待試合に参加しました。三郷市は埼玉県の東京寄りの端に位置し、当所の広大な下水処理施設の上部を利用して作られたのが、会場となった「三郷スカイパーク」です。水処理施設の上部に鉄筋製の巨大な架台を築き、その上(約6.9ha、東西295m、南北234m)をサッカー場・グランドゴルフ場・ウォーキングコース等のスポーツ施設としたもので、とにかく芝生が一面に広がっている、少年サッカー小僧たちには格好のところ。もちろん、こうした人気の施設を使用するには、主催者の並々ならぬ努力が必要と思われますが、「遠方から来ていただくチームの方々に、少しでも良い条件でサッカーを楽しんでもらえるように」という主催者の言葉通り、2日間の大会が快適に行われたことは、主催チームの方々の尽力によるものだと感謝しております。
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心配された渋滞もなく、予定通り6時間後に到着した我々。これまた心配された雨に見舞われることもなく、試合開始。良い条件で試合ができるなら、やる気もグンと上がるのが少年サッカー。長時間の移動の疲れは微塵もなく、最初から全開で頑張ってくれます。私を始め数人の同行した保護者にもそれが如実に伝わり、応援する手にも思わず力が入ります。ところが・・・
1点ビハインドの我がチーム。試合終盤にコーナキックのチャンス。ゴール前に上がったボールに見事なヘディングシュートが決まった途端に、主審の笛。同点ゴールかと思いきや、何と!試合終了の笛!?。もちろん、今のゴール無効。これには選手のみならず、思わず見ていた周りから、「それはないだろう」という声が思わず出てしまったのは当然のことのように思われます。そんな声は全く無視して、次の試合が有るからとでも言わんばかりに主審は、急いで選手を整列させて、さっさと去って行きました。何とも「憤懣やるかたない」とはこのことのようで・・・
隣でビデオを撮っていた方の言によると、コーナーキックを蹴られたボールがゴール前に上がって、そのボールに触る一瞬前に、最初の一笛が吹かれたようです。1点ビハインドの我がチームですから、コーナーキックを蹴るのに時間を費やしていたわけでも、ショートコーナーを使う素振りを見せたわけでも、ゴール前で反則が有ったわけでもありません。「これなら、蹴る前に笛を吹いてほしかった.。その方が敗戦を素直に認められた」という声が出ていましたが、私もその意見には同意。公式戦でもなく、私たちは招待された側ですので、あまりのことは言えないのですが、これも「アウェーの洗礼」というやつでしょうかね。
戻ってきた子供たちの表情にも、敗戦を反省に換えられない、憤懣(ふんまん;怒りが発散できずいらいらすること)がアリアリ。しかし、ここからがこの子たちの成長の一片を垣間見る思いがしました。見事に気持ちを切り替え、次の試合も、そして翌日の試合も、果敢に戦い抜き、準優勝で終えることができました。今でも何となく引っかかる想いが残っている大人たちに比べ、少しは成長した証を見せてくれた子供たちに、奇しくも助けられたような形になりましたが、普段と違った環境で、今までに対戦したことのないようなチームと試合をする遠征は、渋滞に巻き込まれて8時間もかかった帰路を差し引いても、プラスだったと思いたいですね。
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関係ない話ですが・・・


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すそ野にて 2-2 [巷の雑感]

前回の記事で、多くの熱いコメントをいただきました。それに対して私の想いを、追記という形で書かせていただきたいと思います。
まず最初に、前回の補足説明をさせていただきたいと思います。
ファールの笛が吹かれた前後に、当該選手の口からは一言も言葉は発せられませんでした。また両チームのベンチからも、見ていた周辺の人からも、抗議やアピールの声は一切出ておりませんでした。従って、主審を侮蔑するような発言はどこからも無かったと断言できます。「あんな8人制サッカーの規則を知らない主審のレッドカードに従わなければならないのか」という記述は、実際に誰かから発せられた声ではなく、その場の多くの意志をくみ取った私の想いで、この点で誤解を起こさせるような記述になってしまったことは、ここでお詫び申し上げます。
また当該選手間でも、言い争いや感情的な行動は一切なく、ラフプレーでもありません。ボールを争って両者とも倒れましたが、両者ともユニフォームを引っ張るなどの行為すらありませんでした。試合開始からそれまで、当該選手に限らずこの試合では、一度も主審が注意を与えるようなシーンはありませんでしたし、ましてやイエローカードなどは比無。ではなぜ一発レッドカードが出されたのか、その答えを私は持ちえません。従って、カードもらったその子に対して、未だにかける言葉を私は持てないです。
しかし、レッドカードが出された是非をここで論じようと思って書いたわけではありません。第一、その場の状況を、公正にかつ詳細に文字で説明するだけの文章力を、私は持ち合わせてはいないと思うからです。では何が書きたかったかと言うと、「小学生サッカーの試合における、一発レッドカード」の意味についてです。他年代や、ましてやJリーグや日本代表戦の話ではありません。

レッドカードが出されると、その選手はその場を退去しなければなりません。今回は交代選手が入りましたが、レッドカードは強制交代ではありません。ベンチに戻ることは許されず、その場を去らなければなりません。そして、その試合のみならず、その後に試合でも、です。その目的は、サッカー選手としてあるまじき行為をしたことへの罰であり、反省を促すためだと思います。イエローカードが2枚目になってレッドカードになった場合、以前注意したのに改善が見られない、自己反省が行われていなようだ、ということになり、当該選手もその場を離れて冷静に振り返ってみれば、反省すべき点が必ずあると思います。一発レッドカードの場合は、サッカー選手として重大な過失があった場合や他の選手に対して危険な行為が有った場合、スポーツマンシップに反する行為が認められた場合など、当該試合を離れ、時間を掛けて、より深く冷静になって反省することを求めることが目的だと思います。ただ罰を与えることだけが目的ではなく、悪かった行為を反省させて、より良い選手に育てること、それが前回書いた「小学生サッカーの教育的要素」だと、私は思っています。その反省のためには、ワンプレーでその試合から外されなければならないほどの重要な過失があったことを、主審であれ監督であれ、まずその子に示さなければなりません。そうでなければ、ただ犯罪者を決めて罪を課すのみで、教育的でも何でも無くなってしまうからです。

その試合だけでなく、次の試合も出れなくて、チームのみんなに迷惑をかけた。みんなの夢を壊してしまった。僕はそんなに悪いことをしたのだろうか。もしそうなら、もう辞めてもいい。そんなことをその後、その子は言ったようです(後日伝え聞いただけで、私は直接は聞いていませんが)。もし私がそのチームの監督だったとしたら、未だにその子にかける言葉を持ちえません。何を反省すべきなのか、分からないからです。結果、その子の教育的な意義は薄れてしまったと言えると思います。レッドカードを出されて、ベンチに戻ってきたその子は、チームメイトに一礼して泣き崩れました。しかし、その姿を見た大会役員らしき人は、「ベンチから出て!」と怒鳴りました。しかたなく、その子はベンチから出て、後ろに下がって泣きながら座り込みました。その姿を見たその大会役員らしき人は再度、「もっと下がって!」と叫びました。その人の行為はルールに則ったものでしょう。しかし、注目された試合だったために多くの観戦者が居るなかで、遠くまで届く大きな声だったので、その場にいた多くの大人、多くのサッカー少年たちが、その光景を見て、聞いていました。反省の糸口さえ見つけられないその子は、衆目の中泣きながら、罪人としてその場を去らなければなりませんでした。その間グランドでは、フリーキックかPKか、のドタバタが起こっていました。

主審にはその試合を公平に、かつ円滑に運営する目的があり、そのためにイエローカードやレッドカードを出す権限が与えられています。小学生の当該選手にとっては、主審の存在はとても大きな存在だと思います。あのファールでイエロカードが出ていたら、まあしょうがない、という気分に見ていた人はなったでしょう。あのファールで、その子のその試合2枚目のイエローカードが出たらなら、もう少し注意すべきだった、と見ていた人は思ったことでしょう。しかし、一発レッドカードでした。カードを出された直後、見ていた多くの人からどよめきが起こったのは、「なぜ」という思いが誰にもあったからでしょう。しかし、主審に異議を唱えるのはタブーとされていたので、誰も表立って声を発しませんでした。それでもその後、ルールに則り、毅然と、かつ粛々と試合が進められていたら、主審の判断と処置が正しかった、ということになったかもしれません。しかしそうではありませんでした。その後、主審はカードの意味を説明することなく、その子に退去を命じるだけで、Bチームの監督から「PKではないのか」というクレームに対処するのに忙しかったようです。これではレッドカードの教育的意味どころか、試合を公平に円滑に運営する目的さえも果たせないのではないか、多くの不満と不信を生んだだけではないか、ただ、罪人を一人造っただけのような気がする、というのは、言いすぎでしょうか。
主審といえども人間です。間違いもあるかもしれません。しかしそれをとやかく言っては、大会も試合も、サッカーという競技自体も成立しません。また、その主審の判断に、周りがいちいちクレームを付けているようでは、試合進行の妨害にしかなりえないと思います。しかし一旦主審として笛を吹くなら、最初から最後まで毅然とジャッジして欲しいし、イエローカードやレッドカードの権利を行使するのなら、まずはルールや規則を熟知することぐらいの、襟を正してほしいと思います。主審は小学生のその子らに、何ら恨みは無いはずです。一発レッドカードのような強権を発動するのは、その子のサッカーに対する思いを大きく変えることにつながる場合もあるのですから、カードを出す行為が、その意味が、小学生サッカー選手の反省を促し、より良い選手を育てるためのものだと、信じていたいからです。たとえ、すそ野の試合でも。
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すそ野にて 2 [巷の雑感]

今日は末っ子の地域のリーグ戦の日でした。地域のリーグ戦というと、交流試合の延長のように思われるかもしれませんが、最終学年の6年生にとっては、残り少ない公式戦の一つですし、今回は別の大会への出場権のかかった試合ですので、選手も保護者も気合が入っていました。全国的にはどうか分かりませんが、当県では小学生サッカーは8人制を推奨していて、このリーグ戦も8人制サッカーで行われています。さて、このブログには、少年サッカーに関わっておられる方々が多く見に来られていると思いますので、本日私が自分の眼で見たことを、正直に以下に書きます。
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準決勝(便宜的にAチーム対Bチームとします)、後半も残り少なくなった時間に、選手同士が絡み合い倒れ、主審の笛が吹かれました。ファールと思いきや、主審はカードを出そうとしています。あれでイエローカードかよ、という保護者の声が付近で聞こえていましたが、出たのは何とレッドカードです。会場を囲む両チームの保護者や観戦の他チームからも、どよめきの声が上がりました。カードを受けたAチームのその子は、それまでに主審から注意を受けるようなプレーをしたわけでもなく、危害を与えるような悪質なプレーでもないのですが、一発レッドです。まあそう思っても、主審がそう判断したのですから、しかたないことかもしれません。主審はフリーキックの指示を出して、Aチームのその子にグランド外に出るよう言いました。倒されたそのBチームの子はサッサと起き上がり、ボールをセットしてフリーキックを蹴ろうとしています。
さてそこで、フリーキックを蹴るはずのBチームの監督から、主審へ抗議の声が飛びます。フリーキックではなくてPKではないか、と。ファールが有ったのは、もちろんペナルティエリアの遥か外です。主審はその抗議に対して怪訝そうな顔で、大会本部へ確認に行きます。本部席にいた役員らしき人が、PKだとその主審に指示し、主審はPKの準備を始めました。主審がプレーを再開しようとしたその時に、今度は大会本部からその役員らしき人がグランド内に入ってきて、退場した選手の代わりの選手を補充するよう、指示していました。そうです、レッドカードをもらっても、一人少ない人数で残りの試合を続けるのではなく、交代選手を補充しなければならないのです。それが8人制サッカーのルールです。それを知らない主審は、PKを蹴ろうとするBチームの選手を慌てて止めて、Aチームの交代選手の入場を認めました。
PKは難なく決まりましたが、収まらないのはAチームの関係者一同です。あんな8人制サッカーの規則を知らない主審のレッドカードに従わなければならないのか、と。一触触発の危ない雰囲気が、試合会場全体を覆いました。レッドカードを出したらどうなるのかも知らない主審の出すカードが、正当な意味のあるカードであるのか、私も甚だ疑問に思いました。主審といえども人間ですから、有ってほしくないことですが、間違いや見間違いは有るかもしれません。主審の判断や規則に従って競技を進めるのが、選手や監督の義務だと思いますし、小学生サッカーでは教育的要素もありますから、文句や抗議を言わないのが当然のことだと思います。しかし、このドタバタは何でしょう。
このブログの4月21日の記事にも書きましたが、どんな大会でも主審としてその試合をコントロールするなら、規則を充分理解した上で、最初から最後まで毅然としたジャッジをしていただきたいと思います。特に一発レッドカードは、小学生ではその子に与える精神的ダメージは大変大きいのですから、そういった点も考慮すべきだと思います。

ルールを知らない主審の試合でも、文句も言わず、勝ち抜いていかないといけないのが、すそ野の大会です。
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