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閉店 [巷の雑感]

私が小学生時代、6年間通い続けた通学路に一軒のお店があった。洋服の仕立て直しやズボンの裾上げなどをしている小さな店。いつも窓が開いていて、中で中年のおばさんがコツコツ働いているのを、学校帰りに眺めていた。時間を問わず、季節を問わず、決して広くはなく、明るくもなく、ミシンと洋服でいっぱいのその店で、そのおばさんは何時も働いていた。通りすがりにそれを眺めながら、子供心に、働くとはこういうことなんだ、ということを、知らず知らずのうちに教えられたのかもしれない。
それから三十数年経った昨年末、ふとした用でその店の前を通りかかると、まだその店があった。表の看板は塗り替えられて少し綺麗になってはいたが、建物は昔のまま。ということは、今ではかなり老朽化が進んだ木造で、壁のシミや汚れから年月を感じさせる。そして相変わらず窓は開いたまま。何気に中を覗くと、店内もあの頃と何も変わらない。そしてあのおばさんが、これも昔とまったく変わらずコツコツと働いていた。もう七十歳を過ぎているであろう、初老のそのおばさんは、昔見た手つきのまま、あの頃と同じミシンの音を響かせながら、裁縫仕事を黙々と続けていた。ああ、おばさん、元気なんだ。私がこの町を離れていた間も、ずっとここでこうして仕事を続けてきていたんだね。新しい気に入った店を見つけるのも良いが、こうして昔から知っている店がいつまでも有るのを見つけるのも、また嬉しい。辺りの街並みは今風になってしまったが、その建物と中身だけは、三十数年前のまま。窓からこっそり覗く私は、ちょっとお腹の出た中年のおじさんになってしまったが、その場にたたずんだ数刻の間は、あの頃のランドセルを背負っている子供の心になっていたかもしれない。
昭和年代では当たり前だった木製の窓枠やガラスのはまった木の引き戸の入り口。あの建物、何となく味わい深くて、今度ブログに載せてみようと、先日カメラ片手に行ってみた。すると、その建物は工事用の覆いに包まれていた。そして、店は既に半分以上解体されていた。言葉を失う、というのは、多分こういうことなのだろう。誰が書いたのか分からないが、手書きの張り紙が、閉店を知らせていた。
どうして?、ついこの間までいつもどおりだったのに、なぜ無くならなければならないの。あのおばさんは今、どうしているのだろう。しばし立ちすくんだ私には、言い表せない想いが溢れ出てくるが、建物を壊す重機の音がかき消してしまう。思えば、この店の客になったことの無い私は、あのおばさんの名前も知らなければ、話をしたことも無い。私はただ眺めていた、通りすがりの赤の他人。きっとあのおばさんにはおばさんの、いろんな想いや事情があったのだろう。久しぶりに見つけた、小さな記憶の風景は、無くなってしまった。
数日後、その店のあった場所はすっかりきれいに整地されていた。数ヵ月後にはこの場所に、真新しい建物が建ち、周りに溶け込み、今の街の風景となっていくのだろう。新しい変化を望む心より、どうかいつまでもこのままで、と願う心の方が大きくなったのは、やっぱり年を重ねて、想い出が多くなってしまったせいかもしれない。
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